武田家なきあとの甲府24万石を得た
加藤光泰かとう みつやす
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1537年(天文6年)
生誕地 美濃国 多芸郡
加藤景泰
 
幼名  
作内、権兵衛、遠州
官名 従五位下、遠江守
近親など 正妻:一柳可遊の娘
子:加藤貞泰、娘(竹中重門の正室)
養子:加藤光吉(一柳可遊の子)
ゆかりの地  丹波国、周山城
 近江国 海津城
 近江国 大溝城
 尾張国 犬山城
 美濃国 大垣城
 大和国 秋山城(宇陀松山城)
 近江国 佐和山城
 駿河国 駿府城
 甲斐国 甲府城
略歴 ●美濃
1537年 (1歳)
美濃国多芸郡の国人、加藤景泰の子として生まれる。

1547年 (11歳)
斎藤道三土岐頼芸を追放し美濃国守護に。

●斎藤氏への臣従
その後、父とともに斎藤道三に仕える。(推定)

1556年 (20歳)
長良川の戦斎藤道三が戦死。斎藤義龍が家督。

1561年 (25歳)
斎藤義龍病没。子の斎藤龍興が家督。

1567年 (31歳)
斎藤龍興織田信長に攻められ逃亡し、斎藤家が滅亡。(稲葉山城攻め

●秀吉
その後、信長の家臣、木下(豊臣)秀吉に仕える。

1570年 (34歳)
織田信長越前国征伐に、木下(豊臣)秀吉に従い参陣。

金ヶ崎の退き口

姉川の戦に参陣。

1571年 (35歳)
左足に重症を受ける。

1579年 (43歳)
別所長治の籠る三木城兵糧攻めに参陣。
戦後、播磨国に5千石を拝領。

1581年 (45歳)
因幡国鳥取城兵糧攻めに参陣。

●近江
1582年 (46歳)
備中高松城の水攻めに参陣。

本能寺の変

中国大返し

山崎の戦に参陣。

丹波国、周山城主に。(1万7千石)

近江国、海津城主に。

近江国大溝城主に。(2万石)

1583年 (47歳)
賤ヶ岳の戦

1584年 (48歳)
小牧・長久手の戦では、池田恒興が攻略した犬山城を守備。

1585年 (49歳)
大垣城主に。(4万石)

●秀長
秀吉の蔵入地をめぐるトラブルから失脚、秀吉の弟で、大和国羽柴(豊臣)秀長へ預けられる。(1万石)

大和国秋山城(宇陀松山城)主に。(1万6千石)

●佐和山
秀吉に許され、近江国に戻り佐和山城番に。(2万石)

1590年 (54歳)
小田原城攻めでは、駿河国駿府城を守る。

●甲斐
1591年 (55歳)
甲斐国一国を拝領し、甲府城を築く。(24万石)

1592年 (56歳)
文禄の役で朝鮮へ渡海。

1593年 (57歳)
陣中にて急死。
死没 1593年9月24日(文禄2年8月29日) (享年57歳)
レクイエム 朝鮮での急死は病死となっているが、石田三成の指示を受けた宮部長房に毒殺されたという説もある。