徳川・豊臣の争いに巻き込まれた
片桐且元かたぎり かつもと
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誕生 1556年(弘治2年)
生誕地 近江国
片桐直貞
 
幼名 助作
片桐直盛など
官名 従五位下東市正
近親など 弟:片桐貞隆など
子:片桐孝利など
ゆかりの地  摂津国 茨木城
 摂津国 大坂城
略歴 1556年 (1歳)
近江国浅井長政家臣で、須賀谷領主、片桐直貞の子として生まれる。

●秀吉への随身
1579年 (24歳)
羽柴(豊臣)秀吉に仕える。

●賤ヶ岳七本槍
1583年 (28歳)
賤ヶ岳の戦で貢献し、賤ヶ岳七本槍のひとりとして名を上げ、3千石の恩賞を受ける。

その後は、検地や、戦の際の後方支援など奉行として活躍。

1592年 (37歳)〜
文禄の役で朝鮮へ渡海。

1595年 (40歳)
摂津国茨木城主に。

●大坂城番
1598年 (43歳)
大坂城番になり、豊臣秀頼の補佐役を任される。

1600年 (45歳)
関ヶ原の戦では、徳川家康に嫡男孝利を人質として差し出し、敵対しないことを誓う。

戦後は大和国竜田2万8千石を加増される。

家康から、豊臣秀頼の家老を任せられる。

1611年 (56歳)
淀殿を説得し、二条城での徳川家康豊臣秀頼の会見を実現させる。

●大坂の陣
1614年 (59歳)
方広寺鐘銘事件では、徳川家康への申し開きに奔走するが、家康にうまく諮られて、最終的には大坂方の淀殿大野治長大蔵卿局らから徳川への内通を疑われてしまう。
身の危険を感じ、大坂城を出奔。

2度の大坂の陣(大坂冬の陣大坂夏の陣)では、徳川家康に味方する。

1615年 (60歳)
大坂夏の陣の20日後、徳川家康駿府城ぬ向かう途中、京都で病死。(自害説もあり)
レクイエム 賤ヶ岳七本槍の猛将というイメージよりは、真面目で素直で人を疑うことをしない、お人好しタイプである。

豊臣家を滅ぼそうと決意した徳川家康に、うまく利用されてしまった。
死没 1615年6月24日(元和元年5月28日) (享年60歳)