将軍家光の乳母として台頭した光秀の家老の娘
春日局かすがのつぼね
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誕生 1579年(天正7年)
生誕地 美濃国曽根(推定)
実父:斎藤利三、養父:稲葉重通
安(稲葉一鉄の娘)(稲葉一鉄の姉、於阿牟との説もあり)
幼名
三条西福子、藤原福子、春日局、二位局
官名 従三位
近親など 夫:稲葉良通
子:稲葉正勝、稲葉正定、稲葉正利
養子:堀田正俊
ゆかりの地 GOOGLE MAP 美濃国 曽根城
GOOGLE MAP 丹波国 亀山城
GOOGLE MAP 美濃国 清水城
GOOGLE MAP 武蔵国 江戸城
略歴
●斎藤家
1579年 1歳 明智光秀の家老で丹波国黒井城主となっていた斎藤利三の娘として、美濃国曽根(推定)で生まれる
    その後、母とともに父のいる丹波国亀山城に移る
●父の死
1582年 4歳 本能寺の変で、父、斎藤利三明智光秀に従い織田信長討ちに貢献
父、斎藤利三山崎の戦でも先鋒を務めるが敗北、亀山城高山右近に攻められるが脱出し母とともに京都へ逃れる
    父が捕らえられ三条河原にて斬首された際、それを見守る
    ●稲葉家
その後、母の実家、稲葉家に引き取られる
その後、縁戚となっていた公卿、三条西公国の養育を受ける
    ●結婚
その後、伯父で清水城主の稲葉重通の娘で、縁戚の稲葉正成の正妻が死没したことを受け、稲葉重通の養女となり稲葉正成(小早川秀秋の家老)に後妻として嫁ぐ
1598年 20歳 養父、稲葉重通が死没
1600年 22歳 関ヶ原の戦で、夫、稲葉正成は平岡頼勝とともに、主君、小早川秀秋の東軍寝返りに貢献
●乳母
1604年 26歳 夫と離婚し、徳川家康の後継者、徳川秀忠の嫡男で3歳の竹千代(徳川家光)の乳母に応募し選ばれる
1605年 27歳 徳川秀忠、第二代将軍に
その後、子の稲葉正勝が竹千代の側小姓に
●大奥
1618年頃 40歳 大奥を整備
1623年 45歳 徳川家光、第三代将軍就任に
    子の稲葉正勝が老中に
1626年 48歳 於江与の方が死没
    ●昇殿
1629年 51歳  徳川家光の疱瘡治癒祈願に、伊勢神宮へ
    上洛し、縁戚の三条西実条の猶妹となって御所へ昇殿、後水尾天皇や家光の妹で中宮となっていた和子(東福門院)に拝謁するなど、徳川幕府の安定化にも貢献
1632年 54歳 徳川秀忠が死没
子の稲葉正勝、相模国小田原藩主に(8万5千石)
三男の稲葉正利が、徳川忠長の改易に連座し改易となり、熊本藩へ配流される
    上洛し、従二位に
1634年 56歳  子の稲葉正勝が死没すると、その跡を継いだ10歳の孫、稲葉正則を養育
1635年 57歳  徳川家光の命を受け、曾孫の堀田正俊を養子に
1643年 65歳  死没 
レクイエム 夫の妾を殺害した、夫の浮気がもとに離婚を決意し竹千代の乳母に応募した、家光が廃嫡されそうになった際、単身駿府の家康に直訴に赴いた、後水尾天皇に譲位を迫ったなど、春日局にまつわる逸話は多いが、これらは後世の創作とする説が一般的になりつつある。

辞世は「西に入る月を誘い法をへて今日ぞ火宅を逃れけるかな」
死没 1643年10月26日(寛永20年9月14日) (享年65歳)