信玄に滅ぼされた志賀城主
笠原清繁かさはら きよしげ
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誕生 1515年(永正12年)
生誕地 信濃国
 
 
幼名  
元服名  

新三郎

官名  
近親など 正妻:上杉憲政の娘(志賀夫人)
ゆかりの地  信濃国 志賀城
略歴 ●志賀
1515年 (1歳)
信濃国佐久の豪族で、志賀城主、笠原家に生まれる。

????年 (??歳)
のちに家督を継ぐ。

●信玄の侵攻
1546年 (32歳)
甲斐国武田晴信(信玄)が、信濃国佐久方面に侵攻、隣接する大井貞清の内山城が攻略される。

1547年 (33歳)
武田晴信(信玄)の侵攻を受け、関東管領で上野国平井城主の上杉憲政に救援を求め、家臣、高田憲頼の援軍を得て籠城。

上杉憲政、家臣の金井秀景らを援軍に出すが、浅間山麓で武田軍に迎撃され大敗。(小田井原の戦)

小田井原の戦死者3千の首が、志賀城の周囲にさらし首にされる。

志賀城を討って出るが、武田軍に大敗、清繁は討ち死に。
死没 1547年9月24日(天文16年8月11日) (享年33歳)
レクイエム 清繁の未亡人(志賀夫人)は信玄の家臣、小山田信有の側室となった。

志賀城に籠っていた家臣ら約3千は、甲府へ連行されたあと見せしめのために処刑された。(金山の鉱夫や遊女と言われる)