信長の三男を養子に押し付けられた
神戸具盛かんべ とももり
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誕生 1540年頃(天文9年頃)
生誕地  
神戸長盛
 
幼名  
神戸友盛とも
官名 蔵人大夫、下総守
近親など 正妻:蒲生賢秀の妹
兄:神戸利盛
養子:織田(神戸)信孝など
ゆかりの地  伊勢国 神戸城
 伊勢国 沢城
略歴 1540年頃 (1歳?)
北伊勢の豪族、神戸長盛の二男として生まれる。

二男だったため、仏門に入る。

●還俗と相続
1559年 (20歳?)
神戸家当主で兄の神戸利盛の急死により、還俗し家督を相続。神戸城主に。

浜田合戦では赤堀家に味方し、長野家を迎え撃つ。

神戸家は、元々は伊勢国司畠山家の配下であったが、その頃までに、近江国の蒲生家と縁戚関係を結び、六角家につく。

1567年 (28歳?)
織田信長の北伊勢侵略を受け始め、高岡城を攻められるが、山路弾正が防戦。

●信長に降伏
1568年 (29歳?)
4万の軍勢で再び侵攻してきた織田信長に降伏。

信長の三男、三七丸織田(神戸)信孝を養子に迎える。

信長が同国の長野家も攻略。弟の織田信包を、長野家の養子に送り込む。

織田信長の六角氏攻めにも従軍し、義兄の蒲生賢秀の攻略に成功。

●幽閉
1571年 (32歳?)
養子の織田(神戸)信孝への冷遇を信長に咎められ、近江国日野城に幽閉される。

織田(神戸)信孝が家督を相続。

●澤城
1582年 (41歳?)
許されて、伊勢国澤城に隠居。

本能寺の変

1583年 (42歳?)
織田(神戸)信孝羽柴(豊臣)秀吉の命により切腹。

信孝の家老、林与五郎が神戸城主となり、神戸与五郎と名乗る。

羽柴(豊臣)秀吉に神戸与五郎が攻め追われると、織田信包を頼って安濃津へ落ち延びる。

1600年 (59歳?)
死没。
死没 1600年(慶長5)??月 (享年59歳?)
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