信長、秀吉、家康に仕えた飛騨守 | |
金森長近かなもり ながちか | ![]() |
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール |
画像 | ![]() |
誕生 | 1524年(大永4年) |
生誕地 | 美濃国 |
父 | |
母 | |
幼名 | 五郎八 |
名 | 金森可近、金森長近、素玄(法号) |
官名 | 飛騨守、兵部卿法印など |
近親など | 兄:金森政近 弟:安楽庵策伝など 子:金森長則、金森長光など 養子:金森可重 |
ゆかりの地 | ![]() ![]() |
略歴 | ●土岐氏 1524年 (1歳) 美濃国多治見の国人で土岐家家臣、金森定近の次男として生まれる。 ●織田家への随身 1541年 (18歳) 尾張国の織田信秀に仕える。 ●信長 1551年 (28歳) 織田信秀死没、引き続き織田信長に仕える。 1559年 (36歳) 織田信長の上洛に随行した際、美濃国の刺客たちにあとをつけられ命を狙われるが、その際刺客と顔見知りだったため信長からの言葉を刺客に伝える。 1560年 (37歳) 桶狭間の戦。 1563年 (40歳) 稲葉山城攻めで貢献。 その後、赤母衣衆に。 1573年 (50歳) 越前国の朝倉義景攻めに従軍。 近江国の浅井長政攻めに従軍。 1575年 (52歳) 長篠の戦では、徳川家康の家臣、酒井忠次とともに鳶巣山砦攻略に成功。 ●勝家の与力 越前国の一向一揆平定戦では、別働隊を率いて美濃から奇襲をかけ勝利に貢献。 その功により、越前国大野郡の内3分の2を拝領、大野城を築城し、柴田勝家の与力として越後国の上杉謙信などに対する。 ●信長の死 1582年 (59歳) 天目山の戦では、飛騨口から出陣。 本能寺の変。 1583年 (60歳) 賤ヶ岳の戦では柴田勝家につき佐久間盛政の指揮下に入るが、戦局が不利となったことから退却。 戦後蟄居するが、羽柴(豊臣)秀吉に許され仕える。 1585年 (62歳) 越中国の佐々成政攻めに参陣。 飛騨国の姉小路氏(三木氏)を攻め降伏させる。 ●飛騨 1586年 (63歳) 飛騨国一国、3万8千石を拝領。 1587年 (64歳) 九州攻めに参陣。 1588年 (65歳) 高山城を築城し居城に。 1590年 (67歳) 小田原城攻めに参陣。 1593年 (70歳)〜 文禄の役では名護屋に参陣。 1600年 (77歳) 関ヶ原の戦では徳川家康につき、飛騨国を固める。 戦後はその功により、美濃国上有知1万8千石、河内国金田3千石を加増される。 1608年 (85歳) 死没。 |
死没 | 1608年9月20日(慶長13年8月12日) (享年85歳) |
レクイエム | 初名は金森可近だったが、信長から一字をもらって長近となった。 千利休に学び、茶の湯にも造詣が深かった。 |