信長、秀吉との関係が深かった武家伝奏
勧修寺晴豊かじゅうじ はるとよ
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誕生 1544年3月17日(天文13年2月24日)
生誕地 京都
勧修寺晴秀(勧修寺晴右とも)
粟屋元隆の娘
勧修寺晴豊(はるとよ・または、はれとよ)
官名 権大納言、准大臣、従一位、贈内大臣など
近親など 子:勧修寺光豊、甘露寺経遠、伊達行源、坊城俊昌、阿部致康、鳳林承章、娘(佐久間安政の正室)など
弟:万里小路充房(万里小路輔房養子)、日袖、
妹:正親町三条公仲の正室、誠仁親王の妃(後陽成天皇の母・新上東門院・勧修寺晴子)など
ゆかりの地  山城国 本能寺
略歴 ●勧修寺家嫡男
1544年 (1歳)
公家、勧修寺晴秀の子として生まれる。

1550年 (8歳)
父、勧修寺晴秀、権大納言に。

1565年 (23歳)
織田信長足利義昭を奉じて上洛

●父の失脚
1576年 (34歳)
父、勧修寺晴秀、織田信長から興福寺別当人事の介入を非難され蟄居処分に。

●武家伝奏
1577年 (35歳)
武家奏伝に。

1580年 (38歳)
織田信長と本願寺の顕如の講和を仲介。(石山合戦の終結)

●本能寺
1582年 (40歳)
本能寺の変の直前、甘露寺経元とともに勅使として織田信長と会談し、信長に太政大臣、関白、征夷大将軍の三職のいずれかにつくよう奏請。(三職推任)
(異説あり)

本能寺の変織田信長が自害。

山崎の戦で敗北した明智光秀の娘を保護。

1586年 (44歳)
羽柴(豊臣)秀吉が太政大臣となり、天下人に。

1590年 (48歳)
豊臣秀吉が天下統一。

(中略)

1603年 (63歳)
死没。
死没 1603年1月19日(慶長7年12月8日) (享年63歳)
レクイエム 豊晴の遺した日記「豊晴公記」は、織田信長と豊臣秀吉の政権について詳しく書かれた貴重な資料として現存している。