恵林寺で焼き討ちとなった高僧
快川紹喜かいせん じょうき
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誕生 ????年
生誕地 美濃国
 
 
幼名  
機山(号)
官名など 国師(大通智勝国司)
近親など 弟子:虎哉禅師(伊達政宗を教育)、南化玄興など
ゆかりの地  山城国 妙心寺
 美濃国 崇福寺
 甲斐国 恵林寺
略歴 ●土岐氏
????年 (1歳)
美濃国土岐一族として生まれる。(尾張の道家家出身説あり)

その後、隠峰和尚に師事の上、出家し、美濃国内で修行。

●妙心寺
????年 (??歳)
臨済宗の総本山、妙心寺の43世住職に。

●崇福寺
????年 (??歳)
美濃国崇福寺の住職に。

その後斎藤義龍と宗教上の問題で衝突し、美濃国を去る。(永禄別伝の乱)

1561年 (??歳)
斎藤義龍が病没したことから帰国、義龍の葬儀の大導師を務める。

●甲斐へ
1564年 (??歳)
甲斐国武田信玄の要請を受け、恵林寺住職に。

その後、武田家と美濃国、斎藤家の交渉役に。

1570年
三条の方武田信玄正室)の葬儀で、大導師を務める。

1573年 (??歳)
武田信玄死没。

1576年 (??歳)
武田信玄の葬儀で、大導師を務める。

1581年 (??歳)
国師の称号を受ける。(大通智勝国司)

●焼き討ち
1582年 (??歳)
織田信長の武田攻め(天目山の戦)により、武田家は滅亡。
寺内に匿っていた六角義治らの引渡しを拒否したことから、信長の嫡男、織田信忠から、恵林寺山門にいるところを焼き討ちされる。

辞世は、「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」。
レクイエム 辞世は、快川紹喜の作ではなく、高山和尚の言葉とされる説が有力となっている。

後に織田信長を本能寺で討つ明智光秀と同じ土岐氏であり、恵林寺の事件が本能寺の変の理由、という説もある。

武田信玄の「風林火山」の旗は、快川紹喜の筆によるものとも言われる。
死没 1582年4月25日(天正10年4月3日) (享年??歳)