尼御台と呼ばれた、今川義元の母
寿桂尼じゅけいに
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誕生 ????年(????年)
生誕地 京都
中御門宣胤
 
幼名  
瑞光院寿桂尼
通称 尼御台、瑞光院、大方
近親など 夫:今川氏親
子:今川氏輝、今川彦五郎、今川義元、瑞渓院(北条氏康の正室)
兄:中御門宣秀
姉:山科言綱の正室。
ゆかりの地  駿河国 今川館(駿府城)
略歴 ●公卿の娘
????年 (1歳)
公卿、中御門宣胤の子として生まれる。

●駿河へ
1505年 (?歳)
駿河国遠江国の太守、今川氏親に嫁ぐ。

1508年 (??歳)
夫、今川氏親駿河国に加え遠江国の守護も拝命。

1509年 (??歳)
この頃、氏親の叔父、伊勢盛時(北条早雲)が今川家から独立。

1511年 (??歳)
尾張国守護、斯波義達が遠江国に侵攻。

1515年 (??歳)
夫、今川氏親甲斐国の大井信達に味方し武田信虎と抗争。

1516年 (??歳)
夫、今川氏親、曳馬城の大河内貞綱が斯波家に寝返ったことからこれを攻め、勝利。
遠江国を平定。

1517年 (??歳)
夫、今川氏親武田信虎と和睦し甲斐国から撤兵。

●今川仮名目録
1526年 (??歳)
分国法、今川仮名目録制定に関与。

●夫の死、尼御台
夫、今川氏親死没。

長男、今川氏輝が家督を相続するが若年だったため、これに替わって政務を執る。
そのため、女大名、尼御台などと呼ばれるように。

1535年 (??歳)
今川氏輝相模国北条氏綱と連携し甲斐国の都留郡へ侵出し武田信虎と戦う。

●花倉の乱
1536年 (??歳)
長男で家長の今川氏輝と二男、彦五郎が、同じ日に急死。(毒殺説)

剃髪し、瑞光院寿桂尼と名乗る。

三男で出家していた承芳(今川義元)が家督を相続すべく、京都から帰国。

これに反対する芳菊丸(今川義元)の兄で、氏親の三男、玄広恵探と家督争いが起こるが義元が勝利。(花倉の乱

●武田氏との外交
甲斐国武田晴信(信玄)三条の方の結婚を斡旋。

1537年 (??歳)
当主の今川義元が、甲斐国武田信虎と同盟し、その娘を正室(武田信玄(晴信)の姉)に迎える。

これにともない、東の北条家との関係が悪化。

1542年 (??歳)
今川義元三河国松平広忠を救うべく第一次小豆坂の戦で、織田信秀と戦うが敗北。

1548年 (??歳)
今川義元三河国の第二次小豆坂の戦で、織田信秀に勝利。

1549年 (??歳)
今川義元三河国の松平家を帰属させる。
これにより駿河国遠江国三河国を傘下とし、東海一の弓取りと呼ばれるように。

●北条氏との外交
1554年 (??歳)
今川義元、嫡子今川氏真の嫁に伊豆国相模国北条氏康の娘を迎え、東からの脅威を排除。
(甲相駿三国同盟)

●義元の死
1560年 (??歳)
今川義元、北(甲斐国)と東(相模国)からの脅威を排除したことから、天下に号令するために2万2千の大軍を率いて上洛戦を開始するが、その途中桶狭間の戦織田信長の急襲にあい討ち死に。

今川義元の嫡男、今川氏真が家督を相続するが、氏真が凡庸だったことから再び政務に関与。

1568年 (??歳)
死没。
死没 1568年4月11日(永禄11年3月14日) (享年??歳)
レクイエム 北の武田家、東の北条家との同盟を、太原雪斎とともに推進したと推定され、今川家最盛期をもたらした。

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