景勝への不満から出奔を決意した
上条政繁じょうじょう まさしげ
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誕生 1545年(?)(天文16年)
生誕地 越後国
不詳(上杉房実説あり・畠山義隆説あり)
 
幼名  
弥五郎、上条景義、宜順斎
官名 山城守、播磨守、織部正
近親など 正室:長尾政景の娘
養子:畠山義春
ゆかりの地  越後国 上条城
 越中国 松倉城
 信濃国 海津城(松代城)
略歴 1545年 (1歳)
出自は不詳。

1550年 (6歳)
越後国守護、上杉定実が死没。
これにより、守護代の長尾景虎(上杉謙信)越後国主に。

その後、長尾景虎(上杉謙信)に仕える。

●上条上杉氏
1571年 (27歳)
断絶していた上条家を相続し、上条景義と名乗る。

1577年 (33歳)
上杉謙信能登国を平定。

能登国守護、畠山家の遺児(義春)を養嗣子に。

1578年 (34歳)
主君、上杉謙信が死没。

●御館の乱
御館の乱では上杉景勝に味方し勝利。

1581年 (37歳)
越中国松倉城河田長親が死没したため、織田家に攻められていた松倉城に入城。

●織田氏の侵攻
1582年 (38歳)
魚津城の戦で上杉家は織田家に敗北。

本能寺の変

1584年 (40歳)
上杉家が羽柴(豊臣)秀吉から人質を要求されるが、上杉景勝には実子がなかったことから、孫の上条義真(または景広)を人質に差し出す。

信濃国海津城(松代城)に入城。

●出奔
1585年 (41歳)
海津城(松代城)城代を須田満親に替えられたことから、上杉景勝に不満を持つように。

1586年 (42歳)
上杉家から出奔、羽柴(豊臣)秀吉の元に。

河内国に500石を領す。

1588年 (44歳)
養子の上条義春も上杉家を出奔。

その後の消息不明。
死没 ????年??月 (享年??歳)
レクイエム 出自は諸説あるが、初名の景義の「義」は能登畠山氏の通字であること、のちに畠山家の遺児(義春)を養嗣子としたことの2点から鑑みて、能登畠山家出身に思える。