富山城を築いた越中の守護代
神保長職じんぼう ながもと
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誕生 ????年
生誕地  
神保慶宗?
 
幼名 小法師
宗右衛門、惣右衛門
官名  
近親など 子:神保長住、神保長城など
ゆかりの地  越中国 増山城
 越中国 富山城
略歴 ●没落家の跡取り
????年
越中国守護代で増山城主の、神保慶宗の子として生まれる。

1520年
一向一揆に味方した父、神保慶宗が、能登国守護の畠山義総や越後国守護代の長尾為景と対立、攻められ自害。これにより神保家は没落。

1531年
加賀国における本願寺勢力の内乱(享禄の錯乱)に、能登国畠山家に従い出兵するが、一向一揆勢に敗北。

●富山城
1543年
椎名家が支配していた新川郡へ侵入して、富山城を築城。

これがきっかけとなり、椎名長常らとの領土争い(天文の越中騒乱)が起きる。

1544年
椎名家と一旦和睦するが、その後も領土争いは絶えず。

●謙信との抗争と臣従
1560年
椎名康胤松倉城支援のため進軍してきた、越後国長尾景虎(上杉謙信)富山城を攻められ、一旦和睦し増山城に退く。

1562年
再び上杉輝虎(謙信)に攻められ降伏し新川郡を失うが、畠山義綱の仲裁により元からの領地、射水郡と婦負郡は安堵される。

その後、上杉家の支配下に。

その後、一向一揆の支配下に。

その後、再び上杉家の支配下に。

1566年
能登国守護の畠山家の内乱により、頼っていた畠山義綱が追放される。

●お家騒動
1568年
越中国内の椎名家が上杉家から離反、武田家・一向一揆方に寝返ったことから、家中の反上杉派(頭目は嫡男の神保長住)が活性化し内乱に発展。

上杉家の介入を受け内乱は沈静化するが、嫡男の神保長住が出奔し織田信長を頼る。

1570年
隠居し、家督を二男の神保長城に譲る。

1572年頃
死没。
死没 1572年頃 (享年??歳)
レクイエム 上杉謙信に臣従したものの、長職の死後、再び反上杉派の台頭により家は二分して争い弱体化、結局は1576年に上杉謙信(長尾景虎)に攻め滅ぼされることになる。

小さい家にも関わらず家中で対立していては、お家の安泰はあり得ない、ということを痛切に感じる。

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