信長が尾張統一を果たした重要な戦
岩倉城の戦いわくらじょうのたたかい
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西暦 1559年
和暦 永禄2年3月
関連する場所  尾張国 岩倉城
周辺図
概要 ●浮野の戦のあと
前年の1558年7月、浮野において織田信賢に大勝(浮野の戦)した織田信長は、翌年の正月、一気に決着をつけることを決意、織田信賢の居城である岩倉城下に出陣、城下町を焼き討ちした。

さらに信長は城を幾重にも取り囲み、鉄砲による攻撃で信賢を追い詰めていった。

攻囲の最中、信長は将軍足利義輝に拝謁するために上洛を行うという余裕も見せた。
尾張国の平定も間近となり、その大義名分を得ておこうという、信長の周到な戦略だったと思われる。

浮野の戦で多くの兵を失っていた岩倉城内では、戦意も損なわれており、織田信賢は3月に降伏し、開城となった。

●戦後
信長は岩倉城が落城すると、浮野の戦で自分に味方した犬山城主の織田信清も追放するという暴挙に出た。
これにより尾張国織田信長が完全に統一されたのである。

織田信賢のその後の消息は不明である。
その他