外交に長けた北条家の名奉行
板部岡江雪斎
いたべおか こうせっさい
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画像  
誕生 1537年(天文6年)
生誕地 伊豆国(?)
田中康行
 
田中融成、岡野融成など
官名  
近親など 子:岡野房恒など
ゆかりの地  相模国 小田原城
略歴
●北条家家臣
1537年 1歳 北条家家臣、田中康行の子として生まれる
その後、北条氏康に仕え、特に内政、外交に手腕を発揮する
1559年 23歳 主君、北条氏康が隠居し、北条氏政が北条家の家督を継ぐ
1571年 35歳 北条氏康死去
●武田家外交
北条家は上杉謙信との同盟を破棄し、武田信玄と結ぶ
1573年 37歳 同盟者、武田信玄の死去の噂を確認するため、病気見舞いと称し甲斐国を訪問。その際、信玄の影武者(弟の信廉)を本物と誤信
●板部岡家相続
1578年 42歳 板部岡家を相続
上杉謙信死去。上杉家で後継者争い(御館の乱)が起こる
主君の北条氏政は、上杉家の養子になっていた実弟、上杉景虎を援助するため、同盟者である武田勝頼に援軍を要請
しかし勝頼は上杉家を北条家の血筋の者が継ぐと武田家の地位が下がることを恐れたことなどから上杉景勝と和睦、これにより景虎は孤立し敗北、自害
これを受けて北条家は武田家との同盟を破棄
1580年 44歳 主君、北条氏政が子の北条氏直に家督を譲る
●徳川家外交
1582年 46歳 織田信長本能寺の変で自害すると、北条家は徳川家康と対立するが、その和睦に貢献
天正壬午の乱の結果、甲斐国信濃国は徳川領、上野国は北条領に
これにより、北条氏は、相模国伊豆国武蔵国下野国上野国下総国、合計240万石の領主に
●豊臣家外交
1589年 53歳 上野国の真田家との領土問題解決のため、上洛して豊臣秀吉に拝謁。その際秀吉から、外交能力を高く評価される
1590年 54歳 豊臣秀吉小田原城攻め
北条家滅亡後は、豊臣秀吉にお伽衆として仕え、姓を岡野と改める
1598年 62歳 豊臣秀吉死没。その後は徳川家康に仕える
1600年 64歳 関ヶ原の戦にも従軍し、 その際、小早川秀秋の寝返りに関与するなど貢献
1609年 73歳 京都伏見で死没
レクイエム 嫡子の岡野房恒は、徳川幕府の旗本として取り立てられた。
死没 1590年(慶長14年)6月 (享年73歳)