謀反を疑われ誅された丹後守護
一色義定いっしき よしさだ
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誕生 不明
生誕地 丹後国
一色義道
 
五郎、満信、義俊、義有
官名 左京権太夫
近親など 正妻:伊也(菊の方・細川幽斎(藤孝)の娘)
弟:一色重之など
ゆかりの地  丹後国 建部山城
GOOGLE MAP 丹後国 弓下城
略歴
●丹後守護家
????年 1歳 丹後国守護、一色義道の子として生まれる
    ●家督
1579年 ??歳 父、一色義道が、信長の部将、明智光秀細川幽斎(藤孝)らに攻められた際は、藤孝の本陣に斬り込む
    父、一色義道が建部山城を捨てて落ち延びる途上、家臣の裏切りにあって自害
これを受けて家督を相続、居城を建部山城から弓下城に移し、その後も、織田家に対抗
●和睦
その後丹後国細川幽斎(藤孝)と分割して治める条件(一色家は北3郡・細川家は南2郡)で織田家と和睦し、藤孝の娘を正妻に迎える
1581年 ??歳 織田信長が主催した、京都御馬揃えに参加
1582年 ??歳 武田勝頼攻めに参陣し、高遠城攻めなどで貢献。(天目山の戦
    ●本能寺の変
1582年 ??歳 本能寺の変
    山崎の戦では、明智光秀に味方するが敗北
    羽柴(豊臣)秀吉への謀反の疑いで、細川幽斎(藤孝)の居城、宮津城内の酒席に招かれ細川忠興に誅殺される。(自害したとの説あり)
死没 1582年9月24日(天正10年9月8日)(2月説あり) 享年??歳
レクイエム 本能寺の変の後、細川藤孝同様に明智光秀を見限らなかったことが、室町幕府四職である一色家の滅亡を招いてしまった。

妻の伊也は細川家に戻るが、夫の仇である実兄の細川忠興を刺し殺そうとした、という逸話が残っている。