信長と対立した丹後の名族
一色義道いっしき よしみち
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画像   
誕生 1533年(天文2年)
生誕地  
一色義幸
 
義通
幕職 丹波守護
官名 式部大補、左京大夫など
近親など 弟:一色昭辰、一色義清
子:一色義定
ゆかりの地  丹後国 建部山城
 丹後国 中山城
略歴
●丹波守護家
1533年 1歳 丹後国守護で、建部山城主、一色義幸の子として生まれる
●家督
1558年 26歳 父、一色義幸の隠居により、家督を相続
1559年 27歳 上洛を果たした織田信長の元へ駆けつけ、誼を通じる
1574年 42歳 信長の命により、越前国一向一揆攻めに水軍を率いて参陣
1575年 43歳 丹後国の所領を安堵される
●対立
その後、元将軍足利義昭を匿ったことから織田信長と対立
1578年 46歳 信長の部将、明智光秀細川幽斎(藤孝)らに攻められる
1579年 47歳 籠城していた居城、建部山城が落城し、但馬国を目指して38騎の部下とともに落ち延びる
中山城で、家臣で城主の沼田幸兵衛の裏切りにあい自害
死没 1579年10月14日(天正7年9月24日) (享年47歳)
レクイエム 義通の死後、弟の一色義清が家督を継ぐが、間もなく細川幽斎(藤孝)と交戦、下宮津にて討ち死にとなり、室町幕府四職のひとつ丹後一色家は滅亡する