本願寺と信長の10年に渡る死闘
石山合戦いしやまかっせん
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西暦 1570年〜1580年
和暦 元亀元年〜天正8年
関連する場所  摂津国 石山本願寺(現大阪城)
概要 天下統一を狙う織田信長に対し、石山本願寺を中心とした一向宗の宗徒が立ち向かって行われた一連の戦の総称で、信長は10年もの間苦戦を強いられた。主な経緯は下記の通り。

●顕如上人
1570年
上洛した織田信長から、摂津国石山からの立ち退きを要求された本願寺住職の顕如が、信長に敵対していた将軍足利義昭と接近し信長に敵対、三好攻め(野田・福島の戦)を行っていた信長軍に攻撃。その後本願寺での長期籠城戦となる。

さらに姉川の戦で信長に敗北した浅井長政が、越前国の朝倉勢とともに湖西(琵琶湖の西岸)を南下、比叡山の協力の元、信長方の宇佐山城を落城させ京都へ向かう勢いを見せた。(志賀の陣
これについては、何とか撃退した信長だったが、周りを敵に囲まれた最悪の状況は続き、朝廷に働きかけ和睦に成功、約1ヶ月で終戦に。

●伊勢長島
この頃伊勢国長島でも一向一揆が勃発。信長は5万の大軍で征伐に向かうが苦戦し撤兵。(第一次伊勢長島攻め

●信長包囲網と二度目の敵対
1572年
顕如甲斐国武田信玄や中国の毛利と結び、将軍足利義昭とともに、信長包囲網を構築。

●本願寺の苦境
1573年
織田信長による比叡山焼き討ち足利義昭の追放(室町幕府滅亡)、浅井、朝倉討ち、さらには頼みの綱であった武田信玄の死など、味方勢力が次々と平定され、本願寺は苦境に立たされ始める。

越前国を攻略した織田信長が、再び伊勢国長島の一向一揆を攻めるが攻略できず。(第二次伊勢長島攻め

1574年
織田信長、三度目の正直で伊勢国長島の一向一揆を攻略。

1575年
織田信長越前国一向一揆を攻略。

1576年
天王寺砦の戦で、本願寺勢は織田信長に敗北。

摂津国の木津川河口で、本願寺に兵糧を運ぶ毛利輝元方の村上武吉率いる水軍が、織田水軍と戦い大勝。(第一次木津川の戦

1577年
本願寺の主戦を務めてきた紀伊国の雑賀が織田信長に攻められ降伏。
(第一次雑賀攻め

1579年
信長を裏切って本願寺方についていた荒木村重有岡城が信長に攻略される。

1580年
朝廷の斡旋を受けて、本願寺の顕如織田信長が和睦。(石山合戦の終結)