秀吉のもとへ走った家康の筆頭家老
石川数正いしかわ かずまさ
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誕生 1533年(天文2年)
生誕地 三河国 蔵前
石川康正
松平重吉の娘
助四郎(幼名)、与七郎、数正、康昌、康輝、吉輝
官名 従五位下、伯耆守、出雲守
近親など 正妻:内藤義清の娘
子:石川康長、石川康勝、石川康次など
ゆかりの地  信濃国 松本城
略歴
●三河
1533年 1歳 松平家家臣、石川康正の嫡男として生まれる
●家康への随行
1547年〜 15歳 松平元康(徳川家康)の駿府での人質生活に従う
1560年 28歳 今川義元の上洛戦にも松平元康(徳川家康)に従い出陣するが、桶狭間の戦今川義元織田信長に討たれる
1562年 30歳 織田信長との清州同盟締結に貢献
今川家の人質のままであった松平元康(徳川家康)の嫡男、松平信康と、築山御前(家康正室)を、今川氏真を説得し奪回
1563年 31歳 三河一向一揆が起こると父、石川康正が家康に反旗を翻すが、数正は家康に従う
●筆頭家老
1569年 37歳 西三河の旗頭に任ぜられ、酒井忠次とともに筆頭家老に
1570年 38歳 織田信長の援軍として、朝倉義景浅井長政との姉川の戦に参陣
1572年 40歳 武田信玄との三方ヶ原の戦に参陣
    武田信玄が病没
1575年 43歳 武田勝頼との長篠の戦いに参陣
1582年 50歳 本能寺の変の際は家康とともに和泉国堺に観光に来ていたが、伊賀越えでの帰国に随行
その後は、徳川家の外交官として羽柴(豊臣)秀吉との交渉役に
1584年 52歳 小牧・長久手の戦に従軍
●徳川家出奔
1585年 53歳 突如徳川家を出奔し、羽柴(豊臣)秀吉を頼る
1586年 54歳 秀吉から、和泉国に8万石を拝領
1587年 55歳 九州攻めに従軍
1590年 58歳 小田原城攻めに従軍
その後、信濃国へ転封となり松本城主に。(10万石)
1592年 60歳 文禄の役(朝鮮出兵)では肥前国へ出陣したが、陣中で死没
死没 1592年3月(文禄元年)(異説あり) (享年60歳?)
レクイエム 小牧・長久手の戦後の交渉役を務めたことから、羽柴(豊臣)秀吉からその外交手腕を評価されたのは事実であろう。

秀吉は徳川の勢力を削ぐために数正にうまいことを言い、徳川家から出奔させた、と言われている。

しかし、家康の指示でスパイとして秀吉の元に送り込まれたという説もある。秀吉死後も石川家は大名として存続していたことを考えると、うなずける説ではある。