鍋島直茂の起死回生の夜討ち
今山の戦いまやまのたたかい
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西暦 1570年9月15日
和暦 元亀元年8月20日
略図
関連する場所  肥前国 村中城(佐賀城
概要 ●龍造寺討ち
肥前国において勢力を伸ばしつつある龍造寺隆信に対し、豊後国を中心に北九州の勢力を広げていた大友宗麟が立ち上がった。

1570年4月、宗麟は肥前国に侵入すると高良山に布陣、揮下の部将たちも続々と肥前に集結した。

龍造寺隆信は、家臣鍋島直茂と小川信友を先鋒に、高尾に布陣していた大友方の戸次鑑連を攻め敗退させたが、引き返す途中を大友勢に襲われ、村中城(佐賀城)に逃げ戻った。

●村中城
宗麟は、弟(甥とも)の大友親貞を大将として、総勢6万を村中城(佐賀城)攻めに差し向けた。

親貞は北部の今山に本陣を置き、龍造寺隆信が5000とともに籠る村中城(佐賀城)を包囲し、攻め立てた。

龍造寺隆信は、中国の毛利家に救援を要請していたが、大友勢が北九州に布陣しており援軍は望めない状況であった。

城内では、援軍も望めずわずか5000の寡兵ではとても勝ち目がないことから和睦論も出始めていたが、これに反対を唱えたのが鍋島直茂であり、しばらくは様子を見ることになった。

村中城(佐賀城)をなかなか落とせないことに業を煮やした大友宗麟は、親貞に援軍を送るとともに、総攻撃を命じた。

8月20日、大友親貞は明朝の総攻撃を期して、酒宴を開いた。

●夜討ち
敵の総攻撃が明日に行われることを察知した鍋島直茂は、敵本陣への夜討ちを主張し、龍造寺隆信もこれを承知、酒宴の最中を急襲した鍋島直茂らは、乱戦の中で大友親貞を討ち取り、敵勢を大混乱に陥れ勝利する。

戦後、鍋島直茂が家中最有力の家臣となったのは言うまでも無い。