意表をつかれた東海一の弓取り
今川義元いまがわ よしもと
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誕生 1519年(永正16年)
生誕地 駿河国
今川氏親
氏親正室、中御門宣胤の娘(寿桂尼
芳菊丸(幼名)、承芳、五郎、義元
官名 従四位下、上総介、治部大輔、三河守
幕職 駿河国遠江国守護
近親など 正室:武田信虎の娘(定恵院)
兄:今川氏輝、彦五郎、玄広恵探
子:今川氏真、娘(武田義信の室)など
ゆかりの地  駿河国 今川館(駿府城)
 尾張国 桶狭間
略歴
●駿河守護家
1519年 1歳 駿河国守護、今川氏親の五男として生まれる
●仏門
1522年 4歳 仏門に入り、今川家の禅僧太原雪斎に養育される
1526年 8歳 父、今川氏親が死没。兄、今川氏輝が家督を相続
1531年 13歳 太原雪斎とともに京都五山で学ぶ
●還俗
1535年 17歳 当主で兄の今川氏輝と彦五郎の相次ぐ急死にともない、家督を相続するため駿河国に帰国
1536年 18歳 庶兄の玄広恵探が家督相続に名乗りを上げたことから、お家騒動(花倉の乱)が起こるが勝利
●家督
家督を相続し、将軍足利義晴から異例の「義」の字を拝領し今川義元と名乗る
1537年 19歳 敵対していた甲斐国武田信虎と同盟し、その娘(武田信玄(晴信)の姉)を正室に
これにともない、東の北条家との関係が悪化
1542年 24歳 三河国松平広忠を救うべく第一次小豆坂の戦で、織田信秀と戦うが敗北
1548年 30歳 三河国の第二次小豆坂の戦で織田信秀に勝利
●東海一の弓取
1549年 31歳 尾張国織田家の台頭に脅威を覚えた三河国の松平家を帰属させ、織田家に奪われていた松平家の嫡男、竹千代(徳川家康)を人質交換の上取り戻す
これにより駿河国遠江国三河国を傘下とし、東海一の弓取りと呼ばれるように
1554年 36歳 嫡子今川氏真の嫁に伊豆国相模国北条氏康の娘を迎え、東からの脅威を排除。(甲相駿三国同盟)
●上洛戦・桶狭間
1559年 41歳 北(甲斐国)と東(相模国)からの脅威を排除したことから、天下に号令するために2万2千の大軍を率いて上洛戦を開始
1560年 42歳 尾張国織田信長の急襲にあい討ち死に(桶狭間の戦
死没 1560年6月12日(永禄3年5月19日) (享年42歳)
レクイエム 領国の経営に手腕を発揮したばかりでなく、武田家、北条家、松平家などとの関わりからもわかるように、優れた外交術も持ち合わせていた名将だった。

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