名門今川家最後の当主
今川氏真いまがわ うじざね
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誕生 1538年(天文7年)
生誕地 駿河国
今川義元
武田信虎の娘(武田信玄の姉、定恵院)
龍王丸(幼名)、彦五郎、宗ァ、仙巖斎
官名 従四位下、上総介、刑部大輔、治部大輔など
幕職 駿河国遠江国守護
近親など 正室:蔵春院(早川殿)(北条氏康の娘)
ゆかりの地  駿河国 駿府城
 遠江国 掛川城
略歴
●駿河守護家
1538年 1歳 駿河国守護、今川義元の嫡男として生まれる
その後、守護職を譲られる
●父の死
1560年 23歳 桶狭間の戦で父、義元が討ち死に
1562年 25歳 父の弔い合戦を起こさなかったことを理由に、松平元康(徳川家康)に背かれ、三河国を失う
    松平元康(徳川家康)の舅、関口親永を切腹させる
    松平元康(徳川家康)に捕らえられた鵜殿長照(従兄または従弟)の息子二人と、元康らの妻子の人質交換を実行
その後、遠江国でも離反が相次ぐ
1567年 30歳 甲斐国武田信玄から同盟を破棄され、徳川家康と共同して攻められるように(三国同盟の破綻)
西(三河国)の徳川、北(甲斐国)の武田家に対するため、東(相模国)の北条家との同盟を強化
    ●駿府脱出と滅亡
武田家の侵攻を受け、駿府城を捨て、家臣朝比奈泰朝遠江国掛川城へ落ち延びる。(駿府攻め
徳川家康の攻撃を受け、半年の籠城のあと和睦を条件に開城
妻の実家である北条氏康の元へ逃れ、駿河国守護としての今川家が滅亡。(掛川城の戦
1571年 34歳 北条氏康の死後、追放され徳川家康の庇護下に
晩年は京都で過ごす
1615年 77歳 死没
死没 1615年1月27日(慶長19年12月28日) (享年77歳)
レクイエム 天皇選の歌集にも選ばれるなど、和歌作りに秀でていたほか、蹴鞠や剣術にも優れた才能を発揮した。

いかんせん戦に対する覇気がなかったことから、名門今川家の滅亡を招いてしまった。