叔父早雲の助力で2国の守護となった
今川氏親いまがわ うじちか
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誕生 1473年(文明5年) (異説有)
生誕地  
今川義忠
北川殿北条早雲の姉)
龍王丸(幼名)、彦五郎、氏親
官名 従四位上、上総介、治部大輔、修理大夫など
幕職 駿河国遠江国守護
近親など 正室:寿桂尼(中御門宣胤の娘)
子:今川氏輝、今川彦五郎、玄広恵探、今川義元など
ゆかりの地  駿河国 今川館(駿府城)
 駿河国 丸子城
略歴
●駿河守護家
1473年 1歳 駿河国守護、今川義忠の子として生まれる
●家督争い
1476年 4歳 父、今川義忠が一揆に攻められ戦死
龍王丸(氏親)派と、父従兄弟である小鹿範満派による家督争いが勃発
伊豆国堀越公方方の上杉政憲と、扇谷上杉方の太田道灌の介入を受けるが、叔父の伊勢盛時(北条早雲)の仲裁により、小鹿範満の後見により龍王丸(氏親)が家督することで決着し、母とともに駿府の西、丸子城に留まる
    ●小鹿討ち
1487年 15歳 氏親が成人したにも関わらず、小鹿範満が家督返還をしなかったことから、再び叔父の伊勢盛時(北条早雲)駿河国に来援、小鹿範満を討つ
その後正式に家督を相続、今川館(駿府城)に入る
元服し氏親と名乗る
叔父の伊勢盛時(北条早雲)興国寺城主とし、守護代(異説あり)に据える
1493年 21歳 伊豆国堀越公方で家督争いが起こり、叔父の伊勢盛時(北条早雲)がこれを平定し伊豆国主に
●遠江
1494年 22歳 斯波家に支配権を奪われていた遠江国へ進出するために、叔父の伊勢宗瑞(北条早雲)を派遣
1500年 28歳 この頃までに遠江国を支配下に
●戦線拡大
1501年 29歳 この頃から三河国甲斐国へも侵攻を開始
1504年 32歳 扇谷上杉家に味方し関東へ伊勢宗瑞(北条早雲)とともに出兵、立河原の戦に出陣し関東管領、上杉顕定軍に勝利
1505年 33歳 中御門宣胤の娘(寿桂尼)と結婚
1508年 36歳 駿河国に加え、遠江国の守護も拝命
1509年 37歳 この頃、叔父の伊勢盛時(北条早雲)が今川家から独立
1511年 39歳 尾張国守護、斯波義達が遠江国に侵攻、たびたび戦う
1515年 43歳 甲斐国の大井信達に味方し、武田信虎と抗争
1516年 44歳 曳馬城の大河内貞綱が斯波家に寝返ったことからこれを攻め、勝利。
遠江国を平定
1517年 45歳 武田信虎と和睦し甲斐国から撤兵
●今川仮名目録
1526年 54歳 分国法である今川仮名目録を制定
    死没
死没 1526年8月1日(大永6年6月23日) (享年54歳)
レクイエム 今川仮名目録はのちに義元が22条を追加するが、領土問題、主従関係、喧嘩の厳罰、私有地関係、さらには重臣の序列などについて取り決めた分国法である。

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