領主を脅かし続けた怒涛の民衆たち
一向一揆いっこういっき
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概要 一向宗徒による一揆。
一向宗は、親鸞を開祖とする浄土真宗から派生した一派だが、その本拠地は、浄土真宗の本山である本願寺。そのため、浄土真宗=一向宗と言えなくもない。

南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土へ行ける、という教えが、農民を中心に日本中に受け入れられた。

一向一揆は、領主に対する不満から全国各地で起こった。

民衆による一揆とは言いながら、戦国大名以上の武力を持っており、例えば1488年の加賀一向一揆では、守護の富樫家が追われ、その後100年ほど「百姓の治める国」が存在したほど。

1532年の戦災で、本願寺の本拠地は、それまでの京都の山科から、摂津国の石山に移り、第11世住職顕如は朝廷や大名たちと連携をとりながら政治の世界にも台頭してきていた。

しかし、尾張国から勢力を伸ばしてきた織田信長が、寺社の持つ領地支配権を徹底的に剥ぎ取り、天下統一を目指していたことから、敢然と対立するようになる。(石山合戦

1574年に、伊勢長島の一向一揆が信長に鎮圧されたのをきっかけに、本願寺勢力は弱体化してゆき、最終的には1580年、正親町天皇からの和解の勅を引き出した信長に降伏することになった。