常に先鋒として活躍した、徳川四天王のひとり
井伊直政いい なおまさ
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誕生 1561年3月4日(永禄4年2月19日)
生誕地 遠江国 井伊谷
実父:井伊直親、養父:松下清景
実母:奥山ひよ(奥山親朝の娘)、養母:井伊直虎(異説あり)
虎松(幼名)、万千代、井伊直政、豊臣直政
官名 従五位下、兵部少輔、従四位下、修理大夫、侍従、贈従三位など
近親など 正室:花(松平康親の娘)
子:井伊直勝、井伊直孝、政子(松平忠吉の正室)、コ興院(伊達秀宗の正室)
姉:高瀬姫(春光院・川手良則の正妻)
ゆかりの地 GOOGLE MAP 遠江国 井伊谷城
 上野国 箕輪城
 上野国 高崎城
 近江国 佐和山城
略歴
●井伊谷
1561年 1歳 今川家の家臣で遠江国井伊谷城主、井伊直親の子として生まれる
1562年 2歳 今川氏真を裏切り松平元康(徳川家康)に従おうとした父、井伊直親が今川家重臣、朝比奈泰朝に殺害される
養父の娘、虎松(井伊直虎)が女性ながら井伊家の家督を継ぐ
    その後、母ととともに、舟ヶ谷城主の新野親矩に保護される
1564年頃 4歳 新野親矩が引馬城攻めで討ち死に
1568年 8歳  出家となり、浄土寺に入る
    その後、鳳来寺に入る
●家康への随身
1574年 14歳  母が、松下清景に再嫁したためその養子に
1575年 15歳 徳川家康に仕える
その後、戦では常に先鋒として活躍し、徳川四天王のひとりと称される
1582年 22歳 本能寺の変が起こった際は、家康とともに堺に観光に来ていたが、伊賀国越えでの帰国に従う
    ●元服
    養母、井伊直虎が死没したため元服し、井伊家当主に
    天正壬午の乱では、北条家との折衝役となり、甲斐国信濃国の併呑に貢献。その際武田家旧臣を従ったことで、徳川の重臣に
1584年 24歳 羽柴(豊臣)秀吉との小牧・長久手の戦でも先鋒をつとめ、三河国岡崎への中入りへ向かう池田恒興を攻め討つなど活躍
●箕輪城主
1590年 30歳 豊臣秀吉の関東の北条征伐後、徳川家康が関八州へ移封されると、上野国箕輪城主として12万石を拝領
1598年 38歳 高崎城を築城し居城に
    ●関ヶ原
1600年 40歳 関ヶ原の戦の前、本多忠勝とともに東軍の軍監として豊臣大名らと共に行動
戦では、娘婿の松平忠吉とともに抜け駆けし宇喜多秀家を攻めるなど、東軍の勝利に貢献
●佐和山城主
1602年 42歳 近江国佐和山城主として移封される。(18万石)
三成の居城だったことや古い縄張りを嫌い、佐和山城は廃城にして、別の地に新城(彦根城)築城を決意
関ヶ原の戦の傷がもとで死没
死没 1602年3月24日(慶長7年2月1日) (享年42歳)
レクイエム 武田信玄の重臣、山県昌景の赤備を引き継いで徳川四天王として活躍。

桜田門外の変で討たれた、大老井伊直弼の先祖。