11人の子を産んだ前田利家の正妻
芳春院ほうしゅんいん
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誕生 1547年7月25日(天正16年7月9日)
生誕地 尾張国
篠原一計
前田利家の伯母
幼名 まつ
まつ、芳春院
近親など 夫:前田利家
子:前田利長(2代目加賀藩主)、摩阿(豊臣秀吉側室)、豊臣秀吉の養女、宇喜多秀家正室)、前田利政など
ゆかりの地  越前国 府中城
 能登国 七尾城
 能登国 小丸山城
 加賀国 金沢城
 武蔵国 江戸城
略歴 ●尾張
1547年 (1歳)
尾張国海東郡の武士、篠原一計の娘として生まれる。

1550年 (4歳)
父が死没。

その後、前田利昌の元で養育される。

●結婚
1558年 (12歳)
前田利昌の子、前田利家と結婚。

1559年 (13歳)
長女、幸姫を出産。

夫、前田利家が、茶坊主の十阿弥と諍いを起こし斬ったことから、主君の織田信長の怒りを買い追放される。

1560年 (14歳)
前田利家が、桶狭間の戦などで貢献したことから、織田信長に許される。

1562年 (16歳)
長男、前田利長を出産。

1569年 (23歳)
前田利家が、信長の指示により前田家を継ぐ。

●越前
1575年 (29歳)
越前国一向一揆討伐後、 夫、前田利家越前国府中10万石の3分の1、3万3千石を拝領し大名に。

府中城に移る。

●能登
1581年 (35歳)
前田利家能登国23万石を拝領し、七尾城を居城に。

1582年 (36歳)
前田利家小丸山城を築城して居城に。七尾城を廃城。

本能寺の変

●加賀
1583年 (37歳)
賤ヶ岳の戦後、夫、前田利家羽柴(豊臣)秀吉側につくことを薦める。

これにより 前田利家能登国のほかに加賀国に2郡を加えられ、金沢城を本拠に。

1585年 (39歳)
羽柴(豊臣)秀吉の越中攻めに、夫、前田利家が従軍し功を立てる。

戦後は、子の前田利長越中国の4郡の内3郡、32万石が与えられる。
これにより前田家は、加賀国能登国越中国の大部分、合計約115万石の太守に。

1587年 (41歳)
豊臣秀吉九州攻め

1590年 (44歳)
小田原城攻め

前田利家五大老のひとりとなり、秀吉の後嗣豊臣秀頼の守役を任せられる。

1598年 (52歳)
前田利家が隠居、子の前田利長が家督を相続。

豊臣秀吉死没。

●夫の死
1599年 (53歳)
夫、前田利家が大坂で死没すると、出家し芳春院と名乗る。

嫡男の前田利長拾(豊臣秀頼)の傅役となる。

●江戸へ
徳川家康から謀反の疑いをかけられたことから、自らすすんで人質となり江戸へ赴く。

1600年 (54歳)
関ヶ原の戦後は、東軍についた前田利長加賀国能登国越中国、合計約115万石の大封を拝領し、金沢城を居城に。
(東軍につかず日和見をした次男の前田利政能登国の所領を没収され兄の前田利長に与えられた)

1605年 (59歳)
子の前田利長が隠居し、利長の異母弟前田利光(利常)が家督を相続。

1614年 (68歳)
前田利長が死没したため、金沢へ戻る。

1617年 (71歳)
金沢城で死没。
レクイエム 戦国時代でも珍しい多産で、11人の子を産んだ。

豊臣秀吉やその正妻、高台院(ねね)とは、尾張時代から家族ぐるみで仲が良かった。
死没 1617年8月17日(元和3年7月16日) (享年71歳)