関東進出の足がかりを作った二代目
北条氏綱ほうじょう うじつな
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1487年(長享元年)
生誕地 相模国
北条早雲
小笠原元長の娘
幼名 新九郎
万松軒など
官名 従五位下、左京太夫
近親など 正妻:養珠院
子:北条氏康、北条為昌、北条氏尭など
弟:北条幻庵など
ゆかりの地  相模国 小田原城
 武蔵国 江戸城
 武蔵国 河越城
略歴 ●早雲の子
1487年 (1歳)
伊勢盛時(北条早雲)の子として生まれる。

1495年 (9歳)
父、伊勢盛時(北条早雲)が、相模国小田原城を奪い取る。

●家督相続
1518年 (32歳)
家督を相続。

1519年 (33歳)
父、伊勢盛時(北条早雲)が死没。

●北条姓に
1523年頃 (37歳)
伊勢から北条に改姓。

●武蔵・下総への進出
1524年 (38歳)
扇谷上杉朝興配下の太田資高を寝返らせ、上杉朝興の居城、江戸城を攻略し太田資高を城代に。

1525年 (39歳)
武蔵国岩付城を攻め落とし、渋江三郎を城代に。
これにより武蔵国南部を支配下に。

1526年 (40歳)
安房国里見義堯が三浦半島に上陸、鎌倉に侵攻し鶴岡八幡宮を焼き、玉縄城を攻められるが撃退。

1530年 (44歳)
上総国へ侵攻し、里見義堯久留里城を攻める。

小沢原の戦(武蔵国)で上杉朝興に勝利。

1531年 (45歳)
太田資頼に武蔵国岩付城を奪回される。

1533年 (47歳)
鎌倉の鶴岡八幡宮を再建。

1534年 (48歳)
上総国の真里谷(武田)信隆、小弓公方との不和が元となり北条家に帰順。

●駿河河東
1536年 (50歳)
敵対していた甲斐国武田晴信(信玄)が、同盟者である駿河国今川義元と婚姻により同盟(相甲同盟)したことにより、駿河国へ侵攻、駿河国東部の河東地域を支配下に。(河東一乱(第一次))

1537年 (51歳)
上杉朝興と結んだ駿河国今川義元から、駿河国東部の河東地域を脅かされる。(河東一乱)

上杉家の拠点、河越城を攻略。

1538年 (52歳)
第一次国府台合戦で、里見義堯、里見義堯父子と小弓公方を称していた足利義明の連合軍に勝利し、下総国を支配下に。

1541年 (55歳)
死没。
レクイエム 第二代北条家当主として、拠点の小田原から関東管領職奪取のために東へ乗り出した。

北条への改姓は、関東進出の正当性を主張するためだったと言われている。

晩年には、子の北条氏康への教訓を記した「五箇条の御書置」を残した。
死没 1541年(天文10年)7月 (享年55歳)

1