秀吉に抗戦し切腹して果てた
北条氏照ほうじょう うじてる
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誕生 1540年(天文9年)
生誕地 相模国
実父:北条氏康、養父:大石定久
瑞渓院(今川氏親の娘)
幼名 藤菊丸
大石源三氏照、油井源三
官名 陸奥守
近親など 正室:比佐(大石定久の娘)
兄:北条新九郎、北条氏政
弟:北条氏邦北条氏規北条氏秀(上杉景虎)など
妹:桂林院(北条夫人・武田勝頼の継室)など
養子:北条源蔵(北条氏政の子)など
ゆかりの地  武蔵国 滝山城
 武蔵国 栗橋城
 武蔵国 八王子城
 相模国 小田原城
略歴 ●北条家
1540年 (1歳)
関東の覇者北条氏康の三男として生まれる。

●大石家
1546年 (7歳)
河越夜戦により北条家に降った、上杉憲政の元家臣で武蔵国横山城(のちの滝山城)主の大石定久の養子に送り込まれる。

1547年 (8歳)
養父、大石定久から家督を相続。

その後、大石定久の娘の娘と結婚。

1559年 (20歳)
北条氏政が北条家の家督を継ぐ。

1562年 (23歳)
青梅、辛垣城主、三田綱秀を攻め滅ぼす。

1564年 (25歳)
第二次国府台合戦に参陣。

1568年 (29歳)
野田家の栗橋城を接収し城主に。

1569年 (30歳)
武田信玄から滝山城を攻められ、落城寸前の危機に陥るが助かる。

武田信玄が、北条家の本城小田原城を包囲するが4日間で撤退。

甲斐国への帰路途上の武田信玄を、相模国三増峠で迎え撃つが敗北。(三増峠の戦

1571年 (32歳)
父、北条氏康死去。

●武田との同盟
北条家が上杉謙信との同盟を破棄し、武田信玄と結ぶ。

1578年 (39歳)
上杉謙信の死により、上杉家では後継者争い(御館の乱)が起こると、兄の北条氏政の要請により、越後国へ出陣。

兄の北条氏政は、上杉家の養子になっていた実弟、上杉景虎を援助するため、同盟者である武田勝頼に援軍を要請。

しかし勝頼は、上杉家を北条家の血筋の者が継ぐと武田家の地位が下がることを恐れたことなどから景勝と和睦、これにより景虎は孤立し敗北、自害。

これを受けて、北条家は武田家との同盟を破棄。

●隠居
1580年 (41歳)
兄の北条氏政が、子の北条氏直に家督を譲る。

1582年 (43歳)
織田信長本能寺の変で自害。

これを機に、上野国にいた信長の関東方面司令官滝川一益攻めに参陣。。

●徳川との住み分け
天正壬午の乱の結果、甲斐国信濃国は徳川領、上野国は北条領となった。

これにより北条家は、相模国伊豆国武蔵国下野国上野国下総国、合計240万石を領有。

1584年頃 (45歳)
八王子城を築城し、居城に。

●豊臣への徹底抗戦
1588年 (49歳)
関白豊臣秀吉からの上洛命令に対し、徹底抗戦を主張し、伊達政宗を味方に引き入れるよう画策。

1590年 (51歳)
豊臣秀吉の22万人の大軍に対し小田原城に入城し、抵抗する(小田原城攻め)が、次々と支城を落とされ、密かに頼りにしていた徳川家康伊達政宗が当てにならないことがわかり降伏。

兄の北条氏政とともに責任をとって切腹。
レクイエム  
死没 1590年(天正18年)7月 (享年51歳)