地黄八幡と称され北条家の一門に連なった
北条綱成ほうじょう つなしげ
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誕生 1515年(永正12年)
生誕地  
実父:福島(くしま)正成(櫛間九郎説あり)、養父:北条為昌
北条為昌の娘
幼名 孫九郎
道感(出家名)
官名 左衛門大夫、上総介
通称 地黄八幡
近親など 正妻:大頂院殿(北条氏綱の娘)
子:北条氏繁(康成)、福島勝広など
ゆかりの地  相模国 玉縄城
 武蔵国 河越城
 駿河国 深沢城
略歴 ●福島家
1515年 (1歳)
駿河国今川氏親の家臣で、遠江国土方城主、福島正成の子として生まれる。
(異説あり)

1521年 (7歳)
武田氏との飯田河原の戦で、父、福島正成が戦死。
家臣らに保護されながら相模国北条氏綱の元へ逃れる。

●北条家
その後、北条氏綱の近習に。

その後、北条氏綱の信頼を得、娘婿となり北条性を与えられ、北条一門に。

●玉縄城
1531年 (17歳)
北条氏綱の三男、北条為昌が12歳で相模国玉縄城主となると、城代となって為昌の後見役に。

その後、北条為昌の養子に。

1541年 (27歳)
北条氏綱が死没、北条氏康が北条家当主に。

これを受けて、扇谷上杉家の上杉朝定と関東管領、山内上杉家の上杉憲政が和睦、共同し、北条氏に敵対。

1542年 (28歳)
養父、北条為昌が死没すると玉縄城主に。

●河越夜戦
1546年 (32歳)
河越夜戦では3千の兵を率いて河越城籠城に成功、戦後は河越城主を兼ねる。

その後、河越は大道寺政繁に任せ、玉縄城にあって主に外交に手腕を発揮。

1558年 (44歳)
常陸国下野国方面侵攻戦で総大将を務める。

●国府台合戦
1564年 (50歳)
第二次国府台合戦では本体2万の総大将として大勝をもたらす。
これをきっかけに北条家は、上総国を平定。

1569年 (55歳)
武田家に備えるため、駿河国深沢城に入城。

1570年
武田家に攻められ、深沢城に矢文を送られたことから開城し、相模国に引き上げる。

●隠居
1571年 (57歳)
北条氏康が死没すると、自らも隠居し、子の北条氏繁(康成)に家督を譲る。

1587年 (73歳)
玉縄城にて死没。
レクイエム 北条五色備えの内の黄備えとして、その勇猛さを「地黄八幡」と称された。
死没 1587年6月11日(天正15年5月6日) (享年73歳)