将軍の落胤説もある歌人部将
細川幽斎ほそかわ ゆうさい
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誕生 1534年6月3日(天文3年4月22日)
生誕地  
三淵晴員
智慶院(清原宣賢の娘)
幼名 萬吉
細川藤孝(本名)
官名 兵部太夫
近親など 兄:三淵藤英
子:細川忠興など
ゆかりの地  山城国 勝龍寺城
 丹後国 宮津城
 丹後国 田辺城(舞鶴城)
略歴 ●幕臣の子
室町幕臣、三淵晴員の次男として生まれる。

●細川家の養子
1540年 (7歳)
幕臣細川元常の養子に。

1554年 (21歳)
元常の死により家督を継ぐ。

●義昭救出
1565年 (32歳)
13代将軍足利義輝松永久秀に暗殺されると、仏門に入っていた義輝の弟(後の足利義昭)を救出し、有力大名である越前国朝倉義景を頼る。

その後、朝倉家に仕えたばかりの明智光秀に再会。

1568年 (35歳)
義景が上洛に消極的であるため、明智光秀と諮って尾張国織田信長を頼り、信長の承諾を得る。

信長に担がれて上洛した足利義昭が、15代将軍の座に就く。

1569年 (36歳)
足利義昭が三好三人衆らに襲われるが、明智光秀らとともに戦い勝利。(本國寺の変

●勝竜寺城主
1571年 (38歳)
山城国勝龍寺城主に。

●信長への随身
1573年 (40歳)
信長に敵対した足利義昭を見限り織田信長に仕え、明智光秀の与力となる。

1580年 (47歳)
丹後国の一色家を攻め、その功から子の細川忠興とともに丹後国南部を拝領し、宮津城主に。

その後田辺城(舞鶴城)を築城し、居城に。

●光秀には従わず
1582年 (49歳)
本能寺の変織田信長を殺した明智光秀から味方につくよう求められるが、だまし討ちは卑怯であるとして従わず。
その際隠居して幽斎と号し、細川忠興に家督を譲り、宮津城を居城に。

その後豊臣秀吉に仕える。

●亀山城の籠城
1600年 (67歳)
関ヶ原の戦の直前は、丹後国田辺城に16日間籠城、西軍に対する。
落城が迫ると、後陽成天皇の勅命により開城、丹波国亀山城へ入城。
これは優れた歌人としての幽斎を殺すのはしのびないという禁裏の配慮と言われるが、それを理由に勅命を引き出し、討ち死にを免れた、との説もある。

戦後は京都で過ごす。

1610年 (77歳)
死没。
死没 1610年10月6日(慶長15年8月20日) (享年77歳)
レクイエム 後に首相となる細川護熙氏の先祖。

古今伝授の二条派を継承したように和歌の第一人者であったばかりでなく、剣術や茶道にも通じた、当時最高の教養人であった。