家臣三好家に京を追われた管領
細川晴元ほそかわ はるもと
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誕生 1514年(永正11年)
生誕地  
細川澄元(管領)
清泰院(畠山義堯の娘)
幼名 聡明丸
六郎
幕職 管領、山城守護、摂津守護、丹波守護
官名 従四位下右京大夫
近親など 正妻:三条公頼の娘
子:細川信良など
ゆかりの地  阿波国 勝端城
 摂津国 普門寺城
略歴 ●管領家の嫡男
1514年 (1歳)
室町幕府管領、細川澄元の子として生まれる。

1520年 (7歳)
父、細川澄元の死により、家督を相続。

●主導権争い
1527年 (14歳)
京都で幕政の実権を握っていた細川高国を、家臣の三好元長とともに攻め(桂川の戦)、近江へ追う。
その際、12代将軍足利義晴もともに近江国へ追う。

さらに足利義晴の弟、足利義維(堺公方)を担ぎ、畿内における主導権を入手。

1531年 (18歳)
三好元長に命じ、細川高国を摂津国で討つ。(天王寺の戦)

●三好元長との対立
その後、家臣の波多野稙通らの讒言を信じたことから三好元長と対立。

1532年 (19歳)
本願寺証如や木沢長政と結んで一向一揆の力を借り三好元長を討つ。

今度は、足利義維と対立。足利義維を追放し足利義晴と和睦。

●本願寺との対立
さらに本願寺とも敵対関係となったことから、法華宗と結んで一揆を起こさせ(法華一揆)、近江国の六角家も抱きこみ、山科本願寺を攻め滅ぼす。

1533年 (20歳)
一向一揆に攻められ淡路国に逃れる。

その後、 三好長慶の仲介を受け本願寺と和睦。

●法華宗との対立
1536年 (23歳)
今度は、京都の自治権を握るなど勢力を伸ばしていた法華宗への危機感から対立。六角家や延暦寺と結んで法華宗の二十一ヶ寺を焼く。(天文法華の乱)

管領となる。

●幕政掌握
1537年 (24歳)
従四位下右京大夫となり、幕政を掌握。

●新たなる敵
1543年 (30歳)
細川高国の養子、細川氏綱が晴元打倒のため挙兵したことから対立。

1549年 (36歳)
三好家の三好長慶とも不和となり、江口の戦で敗北。
これにより、将軍足利義輝やその父で前将軍の足利義晴とともに近江国へ逃れる。

これにより畿内は、細川氏綱や三好長慶が支配。

1561年 (48歳)
三好長慶と和睦し、摂津国富田の普門寺城軟禁される。

1563年 (50歳)
死没。
死没 1563年(永禄6年)3月 (享年50歳)
レクイエム 争いごとに明け暮れた人生である。