人質になることを拒み壮絶な最期を選択した
細川ガラシャほそかわ がらしゃ
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誕生 1563年(永禄6年)
生誕地  
明智光秀
煕子
幼名
ガラシャ(洗礼名)
官名  
近親など 夫:細川忠興
子:細川忠隆、細川興秋、細川忠利 など
ゆかりの地  山城国 勝龍寺城(現在、勝竜寺城公園)
 摂津国 大坂城
略歴 ●光秀の娘
1563年 (1歳)
明智光秀の三女として生まれる。

1568年 (6歳)
父、明智光秀織田信長に仕える。

●細川家
1579年 (17歳)
織田家家臣、細川忠興と結婚し勝龍寺城へ。

1580年 (18歳)
細川忠興が丹後の一色家を攻め、その功から丹後一国を拝領し、宮津城主に。

●実父の謀反
1582年 (20歳)
父、明智光秀が、本能寺の変織田信長へ謀反。
山崎の戦羽柴(豊臣)秀吉に敗北した明智光秀は、その後落人狩にあい死没。

夫、細川忠興から、明智光秀の娘であることを理由に、丹後国の味土野に幽閉される。

●洗礼
1587年 (25歳)
カトリックの洗礼を受け、ガラシャの洗礼名を拝受。

1598年 (36歳)
豊臣秀吉死没。

●大坂屋敷炎上
1600年 (38歳)
夫、細川忠興が、徳川家康の会津上杉景勝征伐に参加。その際石田三成の指揮する西軍が、大坂屋敷にいたガラシャを人質にとろうと迫るが、それを拒み自害
(キリシタンは自害が許されないことから家臣、小笠原少斎に殺させた)。

辞世は「ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
死没 1600年8月25日(慶長5年7月17日) (享年38歳)
レクイエム 関ヶ原の直前のガラシャの死は、西軍の横暴さを世に知らしめ、人心の離脱、さらには東軍への傾倒を少なからず呼び起こした事件だった。

謀反人の娘という風当たりにも耐え、戦国を力強く生きた素晴らしい女性だが、18年前の父の謀反の許しを世間に請うために死を選んだと考えるのは、行き過ぎであろうか・・・