武田家滅亡後、徳川家に仕えた
保科正光ほしな まさみつ
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誕生 1561年(永禄4年)
生誕地
保科正直
跡部氏
幼名 甚四郎
 
官名 従五位下、肥後守
近親など 祖父:保科正俊
正妻:真田昌幸の娘
養子:保科正重、保科正貞(実弟)、保科正之など
ゆかりの地  信濃国 高遠城
略歴 ●武田家家臣
1561年 (1歳)
武田信玄の家臣、保科正直の嫡男として生まれる。

1573年 (13歳)
武田信玄病没。

その後、祖父の保科正俊、父の保科正直とともに武田家に仕える。

●武田家滅亡と徳川家
1582年 (22歳)
天目山の戦で武田家が滅亡。

その後、父とともに徳川家康に仕え、信濃国高遠城を預かる。

1584年 (24歳)
小牧・長久手の戦に参陣。

1590年 (30歳)
徳川家康に従い小田原城攻めに参陣。

徳川家康が関東に転封されると、これにともない下総国多胡の領主に。(1万石)

1591年 (31歳)
九戸政実の乱の平定戦に参陣。

1592年 (32歳)
文禄の役(朝鮮出兵)慶長の役(第二次朝鮮出兵)では、徳川家康に従い名護屋城に在城。

1600年 (40歳)
関ヶ原の戦では、浜松城の守備を任せられる。

●高遠へ帰還
戦後、旧領である信濃国高遠を拝領し、高遠城主に。(初代高遠藩主・2万5千石)

1601年 (41歳)
父、保科正直が死没。

1614年 (54歳)
大坂冬の陣では山城国淀城の守備を任せられる。

1615年 (55歳)
大坂夏の陣では、天王寺の戦で戦功をあげる。

●養子
1617年 (57歳)
将軍、徳川秀忠の庶子、幸松丸(保科正之)を養子に。

1618年 (58歳)
5千石を加増される。(3万石)

1617年 (51歳)
尾張国犬山城主とななる。

1631年 (65歳)
死没。
死没 1631年10月31日(寛永8年10月7日) (享年65歳)
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