猟師から武将に返り咲いた仏の茂助
堀尾吉晴ほりお よしはる
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誕生 1543年(天文12年)
生誕地 尾張国 丹羽
堀尾泰晴
 
幼名 仁王
通称 小太郎、茂助
官名 帯刀先生
近親など 子:堀尾金助、堀尾忠氏など
ゆかりの地  近江国 佐和山城
 遠江国 浜松城
 出雲国 月山富田城
 出雲国 松江城
略歴 ●尾張
1543年 (1歳)
岩倉織田家(信長と敵対していた)の家臣、堀尾泰晴の嫡男として生まれる。

●浪人
1559年 (17歳)
織田信長との岩倉城の戦に初陣し一番首をあげる活躍をするが敗戦。
岩倉織田家が滅亡したため浪人に。

●秀吉への随身
その後、美濃国で猟師となっていたが、木下藤吉郎(豊臣秀吉)に出逢い仕える。

1582年 (40歳)
備中高松城の水攻めの際、城主清水宗治の検死役を務める。
秀吉の中国大返しにも随行し、山崎の戦で貢献。

1583年 (41歳)
賤ヶ岳の戦で貢献。

●若狭
若狭国、高浜に1万7千石を拝領。

1584年 (42歳)
小牧・長久手の戦に参陣。

若狭国、坂木に2万石を拝領。

●近江
1585年 (43歳)
近江国佐和山城主に。(4万石)

九州攻めに参陣。

1590年 (48歳)
小田原城攻めに参陣。

●浜松城主
遠江国浜松城主に。(12万石)

1598年 (55歳)
三中老のひとりに。

徳川家康石田三成が対立すると、仲裁役に。

1599年 (57歳)
隠居し家督を子の堀尾忠氏に譲り、越前国府中に5万石を拝領。

1600年 (58歳)
関ヶ原の戦前に、東軍につこうとしたがトラブルにより参陣できず。(子の忠氏は東軍で参陣)

●出雲
戦後出雲国隠岐国を拝領し月山富田城主に。(24万石)

1604年 (62歳)
子の忠氏の病死により孫の忠晴が家長となると、それを補佐。

1607年 (65歳)
出雲国松江城を築城し居城に。

1611年 (69歳)
死没。
死没 1611年(慶長16年)6月 (享年69歳)
レクイエム 三中老は、五大老と五奉行の間の意見調整を職務としたが、温厚な性格であった吉晴には、うってつけだったのではないだろうか?