信長と秀吉に仕えた名人久太郎
堀秀政ほり ひでまさ
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誕生 1553年(天文22年)
生誕地 美濃国
堀重秀
 
幼名 菊千代
元服名 堀久太郎秀政
官名 左衛門督、侍従など
近親など 子:堀秀治など
ゆかりの地  近江国 佐和山城
 越前国 北ノ庄城
略歴 ●美濃
1553年 (1歳)
美濃国の武将、堀重秀の嫡男として生まれる。

●信長の側近
1565年 (13歳)
織田信長の側近に。

1575年 (23歳)
越前国一向一揆征伐で貢献。

1577年 (25歳)
紀州攻めで貢献。

1581年 (29歳)
第一次天正伊賀の乱に従軍。

1582年 (30歳)
備中高松城の水攻めの際、軍監として羽柴秀吉の陣中にいたが、本能寺の変により秀吉の臣下に入り、中国大返しに随行。

山崎の戦
では、大きく貢献。

その後、明智光秀の娘婿明智秀満坂本城に追い込み、自害させる。

●三法師の傅役
清洲会議を経て、信長の後継となった三法師(織田秀信)の傅役となる。

1583年 (31歳)
賤ヶ岳の戦で貢献。

●近江
近江国佐和山城主となり、9万石を拝領。

1584年 (32歳)
小牧・長久手の戦でも、家康方の榊原康政に勝利するなど貢献。

●越前
1585年 (33歳)
越前国北ノ庄城主となり、18万石を拝領。

1587年 (35歳)
九州攻めに先鋒として参陣し、貢献。

1590年 (38歳)
小田原城攻めに、右軍総大将として参陣するが、陣中で病死。
死没 1590年(天正18年)5月 (享年38歳)
レクイエム 何をやらせてもそつなくこなすことから、名人久太郎と呼ばれていたほどの人物で、38歳での急死は早すぎる。

秀吉は、小田原攻めが片付いたあと、関東八州を与えようとまで考えていたといわれる。

13歳にして信長の側近に選ばれたのは、かなりの美童だったためといわれている。