景勝から授けられた武人八幡の称号
本庄繁長ほんじょう しげなが
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誕生 1540年(天文8年)
生誕地 越後国
本庄房長
 
幼名 千代猪丸
弥次郎
官名 従五位下、越前守、大和守
近親など 子:本庄顕長、本庄充長(大宝寺義勝)、本庄長房(一時直江兼続の養子)など
ゆかりの地  越後国 本庄城(のちの村上城
 陸奥国磐城 守山城
 陸奥国岩代 福島城
略歴 ●生まれながらの当主
1540年 (1歳)
越後国揚北衆(あがきたしゅう)で本庄城(村上城)主、本庄房長の子として生まれる。

誕生したとき、父、本庄房長は病没していたため本庄家の当主となるが、実権は叔父の小川長資が握る。

1551年 (12歳)
父の13回忌の際、父を死に追いやる原因を作った小川長資を捕らえて自害させ、実権を奪回。

●謙信への随身
1558年 (19歳)
守護代長尾景虎(上杉謙信)に従う。

その後、川中島の戦や関東北条家攻めにも参陣。

●信玄の調略
1568年 (29歳)
武田信玄の調略を受け、長尾景虎(上杉謙信)への謀反を起こす。

1569年 (30歳)
長尾景虎(上杉謙信)に降伏し、帰参を許される。

1578年 (39歳)
上杉謙信死没。

御館の乱では上杉景勝に味方し、上杉景虎方の鮎川家と戦う。
戦後、上杉景虎につかせた嫡男の本庄顕長を廃嫡。

1581年 (42歳)
新発田重家の乱が起こると、その平定のため尽力。

●出羽国庄内
1583年 (44歳)
出羽国羽前の庄内をめぐり武藤家を支援したことから、最上義光と対立。

1587年 (48歳)
最上義光に尾浦城を攻め落とされ、武藤家が庄内地方を失う。

1588年 (49歳)
最上義光伊達政宗と敵対した機会を捉え、十五里ヶ原の戦で最上勢に勝利、武藤家が庄内地方を回復。

●改易と帰参
1590年 (51歳)
奥州仕置後起こった一揆を煽動した疑いにより、改易。
大和国へ配流。

1592年 (53歳)
文禄の役に参陣。

その功により豊臣秀吉から許され、上杉家へ帰参。

●福島城代
1598年 (59歳)
主君上杉景勝が会津など120万石に転封された際、1万石を拝領し、陸奥国岩代守山城代に。

1600年 (61歳)
陸奥国岩代福島城代に。(1万1千石)

関ヶ原の戦後、伊達政宗勢に攻められるが守りきる。(福島城の戦)

その後、徳川家康への降伏の使者として上洛。
結果、上杉家は改易を免れ、米沢30万石へ減封だけで許される。

1614年 (75歳)
死没。
死没 1614年(慶長18年)12月 (享年75歳)
レクイエム 死後、主君上杉景勝からその戦功をたたえられ、「武人八幡」の称号を受けた