将軍を襲った三好三人衆
本國寺の変
ほんごくじのへん
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西暦 1569年
和暦 永禄12年1月〜
関連する場所  山城国 二条御所(足利義輝が襲撃された永禄の変の舞台)
 山城国 本國寺(15代将軍、足利義昭の仮御所)
 山城国 二条新御所((旧二条城・足利義昭の新御所・二条御所の跡地に信長が築城)
周辺図  
概要 ●15代室町将軍
織田信長の全面的な支援を受け15代将軍の座についた、足利義昭は京都六条の本國寺を御座所としていた。

将軍の御座所(御所)は、かつて二条にあり、二条御所と呼ばれていたが、永禄の変により13代将軍足利義輝が襲われ殺害された際、炎上消失していたためである。

●くすぶる対抗勢力
信長は、敵対勢力である三好勢を駆逐し畿内を平定し、一部の重臣を京都に残して10月に岐阜に凱旋していた。

年明けの1月5日、その本國寺を、三好三人衆や、1年半前の夏に信長に美濃を奪われた(稲葉山城攻め斎藤龍興やその家臣長井道利らが突如襲撃した。
寺門周辺が瞬く間に炎上する。

●攻防
本國寺は危機に陥るが、足利義昭の護衛として残されていた明智光秀らが奮戦し何とか敵を防いでいる間に、細川藤孝(幽斎)をはじめ、信長に降っていた池田勝正や三好義継らの援軍が到着、桂川の川原で乱戦となり、高安権頭らを打ち果たし勝利した。

この戦は、六条合戦とも呼ばれる。

●信長、再び京都へ
翌日に織田信長は変を知り、大雪をついて岐阜を出立、通常3日かかる行程をわずか2日で京都に駆けつけたが、すでに乱は終結していた。

●新御所
信長は、本國寺の防御力の低さを痛感し、二条御所のあった場所を中心に新たな二条御所(のちに旧二条城と呼ばれる)の建築を決定、村井貞勝と島田秀満を奉行に70日という短期間で2重の堀と3重の天守を持つ堅城を築いた。
将軍足利義昭は4月に入所した。
その他