怪我ひとつしなかった、徳川四天王のひとり
本多忠勝ほんだ ただかつ
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誕生 1548年(天文17年)
生誕地 三河国 蔵前
本多忠高
 
幼名 鍋之助
本多平八郎忠勝
官名 従五位下中務大輔
近親など 子:本多忠政、小松姫真田信幸正妻)など
娘婿:真田信幸
ゆかりの地  上総国 大多喜城
 伊勢国 桑名城
略歴 ●三河
三河国松平家の譜代の家臣、本多忠高の子として生まれる。

●家康の旗本
1566年 (19歳)
主君の徳川家康より、旗本先手役に抜擢される。

1572年 (25歳)
長年の強敵、甲斐国武田信玄の上洛途上、三方ヶ原の戦で大敗するが、その働きぶりが敵の武田家からも賞賛される。

1582年 (35歳)
本能寺の変織田信長が死んだとき、家康とともに堺に観光に来ていたが、伊賀国越えでの帰国を主張し、成功に導く。

●上総
1590年 (43歳)
豊臣秀吉小田原城攻め後、家康が関八州へ移封された際、上総国大多喜に10万石を拝領。大多喜城主に。

1600年 (53歳)
関ヶ原の戦の前、各地の大名を家康の味方にすべく、たくさんの書状を送る。
また井伊直政とともに、東軍の軍監として豊臣大名たちとともに行動する。

●伊勢
1601年 (54歳)
伊勢国桑名10万石に移封され、桑名城主に。
城を大改修。

1609年 (62歳)
家督を嫡男の本多忠政に譲り隠居。

1610年 (63歳)
伊勢国桑名で死没。
死没 1610年(慶長15年)10月 (享年63歳)
レクイエム 徳川四天王として活躍。

50回以上戦に参加したが、一度も怪我をしたことがなかったといわれている。
信長や秀吉からも絶賛された武将であった。