宇都宮釣天井事件で失脚したブレイン
本多正純ほんだ まさずみ
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像  
誕生 1565年(永禄8年)
生誕地  
本多正信
 
幼名 千穂
本多弥八郎
官名 従五位下上野介
近親など 子:本多正勝など
ゆかりの地  下野国 小山城
 下野国 宇都宮城
略歴 ●本多家
1565年 (1歳)
徳川家を出奔し、松永久秀の家臣となっていた本多正信の子として生まれる。

1569年 (5歳)
父、本多正信が再び徳川家康に仕える。

●家康への随身
1584年 (19歳)
徳川家康の側近として仕える。

1600年 (35歳)
関ヶ原の戦に従軍。

戦後は、捕らえた石田三成の身柄を預かる。

1603年 (38歳)
徳川家康が江戸に幕府を開府すると、さらに重用されるように。

●大御所家康の側近
1605年 (40歳)
徳川家康徳川秀忠に将軍職を譲る。

この後、父本多正信徳川秀忠の側近として、また正純は駿府に移り大御所となった徳川家康の側近として活躍。

1608年 (43歳)
上野国小山城主となり、3万3千石を拝領。

1612年 (47歳)
岡本大八事件。

1614年 (49歳)
本多正信が、徳川秀忠の家老大久保忠隣を失脚させ、本多父子は大きな権力を手中に。

大坂冬の陣の直前の、方広寺鐘銘事件に関与。

また、弁明のため駿府を訪れた豊臣方の片桐且元を体よくあしらい、開戦のきっかけを作る。

大坂冬の陣で講和が成ったあと、大坂城の総堀を埋める謀略を提言し成功。

1616年 (51歳)
徳川家康死没。

父、本多正信死没。

●秀忠の年寄
駿府から江戸に移り、将軍徳川秀忠の年寄(後の老中)となり、さらに権勢を揮うように。

1619年 (54歳)
徳川家康の遺命と称し、下野国宇都宮藩15万5千石を拝領し、宇都宮城主に。

●宇都宮釣天井事件
1622年 (57歳)
徳川秀忠から宇都宮釣天井事件(疑惑)など11ヶ条の罪状嫌疑を突きつけられ失脚。

本多家は取り潰しとなり、出羽国羽前横手へ流罪、佐竹義宣預かりとなる。

1637年 (72歳)
配流先の出羽国羽前で死没。
死没 1637年(寛永14年)3月 (享年72歳)
レクイエム 失脚の原因は、徳川秀忠の側近、土井利勝らの妬みを買ったためという説が有力。

また、本多父子に失脚させられた大久保忠隣の子の正妻が、秀忠の姉、加納御前の娘だったことから、恨みに思った加納御前が将軍秀忠に讒言したため、という説もある。

父正信から、「権力と大身の両方を持つのは他人の嫉みを買うから3万石以上は拝領してはならない」と諫められていたが、それを冒したゆえの失脚だった。