武断派と仲の悪かった徳川の千恵袋
本多正信ほんだ まさのぶ
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誕生 1538年(天文7年)
生誕地 三河国
本多俊正
松平清康の侍女
幼名 弥八郎
本多正保・本多正行など
官名 従五位下佐渡守
近親など 子:本多正純など
ゆかりの地  相模国 玉縄城
略歴 ●家康への随身
1538年 (1歳)
三河国の本多俊正の子として生まれる。

その後鷹匠として徳川家康に仕える。

●一向一揆
1563年 (26歳)
三河国一向一揆では、一揆方に加わり徳川家康に対抗するが敗戦。

1564年 (27歳)
大和国松永久秀に仕える。

1565年 (28歳)
加賀一向一揆に参加。

●家康への再随身
1569年 (32歳)
大久保忠世の仲介で、再び徳川家康に仕える。

1582年 (45歳)
本能寺の変織田信長が死んだとき、家康とともに堺に観光に来ていたが、伊賀国国越えで帰国。

甲斐国奉行に。

1586年 (49歳)
佐渡守に叙任される。

●関東総奉行
1590年 (53歳)
徳川家が関東八州に移封されると、相模国玉縄城主に。(1万石)

関東総奉行として、江戸の街づくりなどに貢献。

1598年 (61歳)
豊臣秀吉死没。

1600年 (63歳)
関ヶ原の戦の前、徳川秀忠に従い中山道を進み、真田昌幸真田幸村父子の篭る上田城を攻め、決戦には間に合わず。

●秀忠の家老
1607年 (70歳)
徳川秀忠の家老に。

1614年 (77歳)
秀忠の家老大久保忠隣を失脚させ、大きな権力を手中に。

1615年 (78歳)
豊臣秀頼を攻めた大坂冬の陣大坂夏の陣でも、参謀として活躍。
冬の陣の和睦後は、子の本多正純と諮って大坂城の総堀を埋めることに成功。
これにより2万2千石に加増される。

1616年 (79歳)
徳川家康死没。

●隠居
子の本多正純に家督を譲り隠居。

死没。
死没 1616年(元和2年)6月 (享年79歳)
レクイエム 徳川の千恵袋と言われ、家康からの信頼もあつかった。

秀忠の家老になったのも、家康から自分の意図を忠実に秀忠に伝えることができる、という高い信頼を得てのこと。

しかし戦の少なくなった時代から重用されたため、以前からの武断派の功臣榊原康政本多忠勝からねたまれ、仲が悪かった。

領主の心得として「百姓は財の余らぬように、不足なきよう治めること道なり」という言葉を残している。