信長を諫めて自害した究極の傅役
平手政秀ひらて まさひで
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誕生 1492年(明応元年)
生誕地  
平手経秀
 
幼名  
元服名  
官名 中務丞など
近親など 子:平手汎秀、平手久秀など
ゆかりの地 GOOGLE MAP 尾張国 志賀城
 尾張国 政秀寺
略歴 ●尾張
1492年 (1歳)
尾張国の武士で志賀城主(推定)、平手経秀の子として生まれる。

その後、尾張国守護代、清洲織田家の家臣、織田信秀に仕える。

(中略))

1533年 (42歳)
公家の山科言継が下向する際、その饗応役に。

●信長の傅役
1534年 (43歳)
織田信秀の二男織田信長が誕生すると、その傅役となる。

1543年 (42歳)
信長の名代として上洛。

1547年 (56歳)
織田信長の初陣の後見をつとめる。

●美濃との仲立ち
1548年 (57歳)
美濃国斎藤道三との和睦を成立させ、道三の娘、帰蝶と織田信長の婚姻を取り持つ。

1551年 (60歳)
織田信秀が死没、織田信長が織田家を継ぐ。

●信長への諫言
1553年 (62歳)
信長の奇行を諫めて自害。
死没 1553年2月25日(天文22年閏1月13日) (享年62歳)
レクイエム 織田信秀は正室の長子である信長に家督を譲ったものの、うつけ者と悪評高い信長だけに家中でも反対派が多く、織田家は分裂状態にあった。

そんな中、奇行を繰り返す信長に家長としてのふるまいを求め続けた政秀だったが、それもなかなかかなわず、自らの命を断つことで信長を諫めた、とされている。

政秀の死を悼んだ信長は、後年政秀寺を建立しその菩提を弔った。