東軍への寝返りを主導した小早川秀秋の付家老
平岡頼勝ひらおか よりかつ
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誕生 1560年(天正10年)
生誕地  
平岡頼俊
 
幼名  
平岡頼勝、平岡重定
通称 藤蔵
官名 石見守
近親など 正室:上月景貞の娘(黒田官兵衛の姪)
子:平岡頼資
ゆかりの地  丹波国 亀山城
 筑前国 名島城
 美濃国 関ヶ原 松尾山
 備前国 岡山城
 美濃国 徳野陣屋
略歴 ●摂津
1560年 (1歳)
摂津国溝杭の武将、平岡頼俊の子として生まれる。

その後、流浪の身に。

その後羽柴(豊臣)秀吉に仕える。

●小早川秀秋の付家老
1593年 (34歳)
小早川秀秋小早川隆景の養子に出され、丹波国亀山10万石を拝領し亀山城主となると、稲葉正成とともにその付家老に。

1595年 (36歳)
小早川秀秋秀次事件に加担していたという嫌疑から、領地を没収される。

●筑前
小早川秀秋筑前国筑後国2郡など約52万を引き継ぎ、筑前国名島城主に。

1597年 (38歳)
小早川秀秋慶長の役(第二次朝鮮出兵)での失態を理由に、越前国北ノ庄18万石に減封の上移封の処分が下される。

1598年 (39歳)
豊臣秀吉死没。

大老徳川家康の取り成しにより、秀吉が命じた小早川秀秋の処分が無効に。

●関ヶ原
1600年 (41歳)
関ヶ原の戦では、正室が黒田長政の従妹であったことから、稲葉正成とともに徳川家康に内通、小早川秀秋に東軍への寝返り進言し、受け入られる。

●備前
小早川秀秋備前国美作国、52万石を拝領し、岡山城を居城とすると、児島郡2万石を拝領。

1602年 (43歳)
小早川秀秋が病没。これにより浪人に。

●美濃
1604年 (45歳)
美濃国徳野藩主に。(1万石)

1607年 (48歳)
死没。
レクイエム  
死没 1607年3月21日(慶長12年2月24日) (享年48歳)