鉄砲除けの兜に名を遺す歴戦の強者
日根野弘就ひねの ひろなり
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誕生 1518年?(永正15年)
生誕地 美濃国
日根野九郎左衛門尉
 
日根野弘就、延永弘就、延永弘就、空石
通称 徳太郎、日根野備中
官名 備前守、備中守、治部卿法印など
近親など 子:日根野高吉、日根野吉時、日根野弘正、(日根野)日根弘勝
ゆかりの地 GOOGLE MAP 美濃国 本田城
略歴
●美濃
1518年 1歳 和泉国から美濃国に移住していた(推定)武士、日根野九郎左衛門尉の子として生まれる
    その後、西村正利(斎藤道三)に仕える(推定)
●本田城主
1532年 15歳 本田城主に(中島城主説あり)
1538年 21歳 西村正利(斎藤道三)が守護代斎藤利隆の死後斎藤家を相続し、斎藤利政と名乗る
1547年 30歳 斎藤道三土岐頼芸を追放し、美濃国国主に
1548年 31歳 斎藤道三が隠居すると、跡を継いだ斎藤義龍に仕える 
    ●城内での惨殺
1555年 38歳 斎藤義龍の命を受け、美龍の異母弟、孫四郎と喜平次を稲葉山城(のちの岐阜城)内で惨殺
1556年 39歳 長良川の戦で、主君、斎藤義龍斎藤道三に勝利
    ●斎藤六人衆
1561年 44歳  斎藤義龍が病没、跡を継いだ斎藤龍興に家老として仕え、安藤守就氏家ト全、竹腰直光、日比野清実、長井衛安らとともに斎藤六人衆と呼ばれる
1564年 47歳 竹中半兵衛稲葉山城(のちの岐阜城)を占拠され、斎藤龍興に従い一時退城
1566年 49歳 一色家の家臣で丹後守護代家の延永姓に改姓
●今川家
1567年 50歳 織田信長の美濃攻めにより稲葉山城(のちの岐阜城)が落城、斎藤家が滅亡したことから浪人となるが、その後今川家に仕え、掛川城主、朝比奈泰朝に従う
1568年 51歳 徳川家康の攻勢を受け、その重臣、石川数正と戦う
1569年 52歳 徳川方の金丸山砦攻略などに貢献(掛川城の戦
    掛川城が開城となり、再び浪人
●浅井家
その後、近江国浅井長政に仕える
    ●長島一向一揆
1572年 55歳 浅井家を出奔し 伊勢長島の一向一揆に参加
1574年 57歳 織田信長に伊勢長島を攻められ脱出
    ●織田家
その後、織田信長に馬廻衆として仕える
1575年 58歳 越前国一向一揆攻めに参陣
1578年 61歳 有岡城の戦に参陣
1580年 63歳 弟の日根野盛就など同族も、織田信長から馬廻衆として取り立てられる
1582年 65歳 本能寺の変の際は、京都の宿舎にいて静観
    ●羽柴家
その後、羽柴(豊臣)秀吉に仕える
1584年 67歳 伊勢国へ出陣
小牧・長久手の戦では、小牧の二重堀砦の守将となり奮戦
撤退戦では細川忠興、木村重茲、長谷川秀一、神子田正治らと共に殿を務める
1585年 68歳 四国攻めに参陣
その後、羽柴(豊臣)秀吉の勘気を蒙り追放処分に
1590年 73歳 許されて帰参
    子の日根野高吉が信濃国高島城主に(2万7千石)
1592年〜 75歳 文禄の役慶長の役では、秀吉の使者を務め朝鮮へ渡海
1595年 78歳 秀次事件ののち、伊勢国尾張国などに1万6千石を領有
1598年 81歳 豊臣秀吉が死没
1600年 83歳 関ヶ原の戦の際は曖昧な態度を取ったことから、領地の一部を没収される
1602年 85歳 死没(1600年に信濃国高島城で死没したとの説も)
死没 1602年7月17日(慶長7年5月28日) (享年85歳)
レクイエム 鎧や兜を自作し、特に鉄砲玉除けのために曲面を活かして考案した日根野頭形兜(ひねのずなりかぶと)が有名で、多くの武将が用いた。