小姓の頃から信長に寵愛された側近
長谷川秀一はせがわ ひでかず
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像  
誕生 ????年(????年)
生誕地 尾張国 葉栗郡
長谷川与次
 
幼名 竹、竹丸
長谷川竹、長谷川藤五郎秀一、羽柴東郷侍従
官名 従五位下、従四位下、侍従
近親など  
ゆかりの地  近江国 肥田城
 越前国 東郷槇山城
略歴 ????年 (1歳)
織田信長家臣、長谷川与次の子として生まれる。

●信長の小姓
その後、織田信長の側小姓に。

1575年 (??歳)
伊勢国長島城の復旧工事の奉行を務める。

1578年 (??歳)
羽柴(豊臣)秀吉播磨国神吉城攻めの検使を務める。

1579年 (??歳)
安土宗論の際、浄厳院の警備を担当。

1580年 (??歳)
武田家配下である、遠江国高天神城包囲中の徳川家康の元に、軍監として派遣される。

追放された佐久間信盛に替わって、近江国栗田郡、野洲郡の代官に。

1581年頃 (??歳)
大きな加増を受ける。

1582年 (??歳)
佐義長では信長の馬廻衆と小姓衆を率いる。

安土での徳川家康の接待に参加、その後の家康の堺遊覧にも西尾吉次とともに随行。

●本能寺の変
明智光秀の謀反(本能寺の変)が起こると、随行していた徳川家康の伊賀越えによる三河帰還のために尽力。

●秀吉
1583年 (??歳)
羽柴(豊臣)秀吉柴田勝家が対立すると秀吉に味方、柴田方の滝川一益伊勢国峰城を攻める。

賤ヶ岳の戦の後加増され、近江国肥田城主に。(石高不詳)

1584年 (??歳)
小牧・長久手の戦では、三好(豊臣)秀次の支配下に入り三河国中入りへ向かうが徳川勢の攻勢を受けて退却。

1585年 (??歳)
紀伊国の根来衆・雑賀衆攻めに参陣。

●越前
戦後、越前国東郷槇山城主に。(15万石)

1586年 (??歳)
従五位下、侍従に叙任され、東郷侍従と呼ばれるように。

その後、羽柴(豊臣)秀吉から羽柴姓を与えられる。

1588年 (??歳)
豊臣姓を与えられる。

1590年 (??歳)
小田原城攻めに従軍。

1592年 (??歳)
文禄の役では朝鮮へ渡海。

1594年 (??歳)
帰国し、伏見城(指月伏見城)築城の奉行を務める。

死没。
死没 1594年2月文禄3年) (享年??歳)
レクイエム 竹と呼ばれた小姓時代、信長の男色の相手としても寵愛されたと言われる。

本能寺の変の際は、徳川家康に随行し堺にいたため難を免れた。