対馬で病死した伊達家の宿老
原田宗時はらだ むねとき
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誕生 1565年(永禄8年)
生誕地  
山嶺安長
 
虎駒(幼名)、宗時、左馬之助
官名  
近親など 子:なし
ゆかりの地 GOOGLE MAP 出羽国羽前 原田城
略歴
●山嶺家
1565年 1歳 陸奥国守護(奥州探題)で米沢城主の伊達輝宗の家臣、山嶺安長の子として生まれる
●原田城主
1582年 18歳 叔父の原田宗政が相馬表の戦で戦死、嗣子がなかったことから原田家を相続し、原田城主に
1584年 20歳  伊達輝宗が隠居し跡を継いだ伊達政宗にそのまま仕える
粟之巣の変・高田原の変で伊達輝宗が死没
1589年 25歳 陸奥国岩代摺上原の戦で功を上げる
伊達政宗豊臣秀吉の臣下に
    ●転封
1591年 27歳 惣無事令違反、領内での一揆(葛西大崎一揆)を煽動した疑いなどから、伊達政宗が米沢など約150万石から陸奥国陸前玉造郡など58万石に減封となり、岩出山城(岩手沢城)に入るとそれに従う
●朝鮮
1592年 28歳 文禄の役(朝鮮出兵)に従軍し、渡海
1593年 29歳 病を得、帰国途上、対馬国(または釜山)で死没
死没 1622年8月7日(元和8年7月1日) (享年52歳)
レクイエム 戦では常に活躍し、性剛直にして勇武の士と謳われた。

朝鮮出兵の際は、同僚の後藤信康とともに金鎖でぶら下げた2.7mの大太刀を佩いて登場、派手な軍装で知られる伊達軍中において最も目立っていた。

宗時の死を知った政宗は嘆き悲しみ、国風六首(和歌六首)を贈ったのだが、六首の最初の文字をつなげると「なむあみだぶ」となる。