小弓城を落とされ武田家に仕えた鬼美濃
原虎胤はら とらたね
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誕生 1497年(明応6年)
生誕地 下総国
原友胤
 
幼名  
原信知、原虎胤、清岩
通称 鬼美濃、夜叉美濃
官名 美濃守
近親など 子:横田康景、原盛胤、原重胤など
ゆかりの地  下総国 小弓城
 信濃国 平瀬城
 信濃国 海津城(松代城)
略歴 ●千葉一族
1497年 (1歳)
下総国千葉家の一族、原友胤の子として生まれる。

1517年 (21歳)
古河公方に対抗する足利義明、真理谷信清、里見義通の連合軍6千に攻められ、宗家、原胤隆の居城、小弓城にて籠城するが落城、父、原友胤とともに甲斐国に落ち延びる。

●甲斐
甲斐国武田信直(信虎)に仕える。

1519年 (23歳)
主君武田(信虎)信虎が、躑躅ヶ崎館を居城に。

1521年 (25歳)
今川家との飯田河原の戦で、敵将、福島正成を討ち取る大功をたてる。(異説あり)
武田家は これにより、甲斐国内をほぼ統一。

この頃、武田信虎と改名した信直から偏諱を受け、原虎胤と名乗る。

この頃、美濃守を名乗る。

●クーデター
1541年 (45歳)
主君、武田信虎が、嫡男の武田晴信(信玄)板垣信方らのクーデターにあい駿河国に追放される。

跡を継いだ武田晴信(信玄)に仕える。

その後、足軽大将に出世し、鬼美濃、夜叉美濃と呼ばれるように。

1550年 (54歳)
武田晴信(信玄)林城(筑摩郡)の小笠原長時を攻め勝利。

戸石崩れ

1551年 (55歳)
真田幸隆が謀略により戸石城を奪う。

小笠原長時の一族、平瀬八左衛門の平瀬城を攻略。その功により、平瀬城の城代に。

●相模
1553年 (57歳)
日蓮宗と浄土宗が対立した際、武田家の法度に背き浄土宗を支持したことから追放となり、一時相模国北条氏政を頼る。

1554年 (58歳)
駿河国富士郡、賀島での今川勢との戦に参陣。
その際、今川家の援軍に来ていた小幡虎盛、馬場信春、小山田信有らと再会。

武田晴信(信玄)が、駿河国今川義元相模国北条氏政との甲相駿三国同盟を結成させる。

●再び甲斐
その後、武田晴信(信玄)からの要請により甲斐国へ復帰。

1559年 (63歳)
武田晴信(信玄)が信玄を名乗ると、それに倣って剃髪、清岩と名乗る。

1560年 (64歳)
川中島を抑えるために築城された海津城(松代城)に入城。

1561年 (65歳)
信濃国の割ヶ嶽城攻めで負傷。

第四次川中島の戦では、甲斐国に残り留守部隊を預かる。

1564年 (68歳)
躑躅ヶ崎館そばの屋敷にて死没。
死没 1564年3月11日(永正7年1月28日) (享年68歳)
レクイエム