元黒田家の猛将で大坂城五人衆のひとり
後藤又兵衛ごとう またべえ
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誕生 1560年5月5日(永禄3年4月10日)
生誕地 播磨国 南山田城
後藤基国
 
幼名  
後藤又兵衛基次
官名  
近親など  
ゆかりの地 GOOGLE MAP 播磨国 春日山城
GOOGLE MAP 播磨国 南山田城
 筑前国 大隈城
 摂津国 大坂城
略歴 ●播磨
1560年 (1歳)
播磨国の別所家家臣で春日山城主、後藤基国(後に小寺政職の家臣)の子として、支城の南山田城で生まれる。

●黒田家への随身
幼少時から、小寺家重臣の黒田官兵衛に仕える。

1573年 (14歳)
主君の黒田官兵衛が、中国に進出してきた織田信長家臣、羽柴(豊臣)秀吉につく。

●黒田家からの追放
1578年 (19歳)
荒木村重織田信長に謀反。
その際、養父で叔父の藤岡九兵衛も村重方についたことから一族は追放となり、又兵衛は仙石秀久に預けられる。

1585年 (26歳)
仙石秀久に従い、四国攻めに参陣。

●再び黒田家へ
その後許されて、黒田官兵衛の子、黒田長政に仕える。

1587年 (28歳)
九州攻めに参陣。

1592年〜1597年 (33歳〜38歳)
二度に渡る朝鮮への侵攻(文禄の役慶長の役)でも貢献。

1600年 (41歳)
関ヶ原の戦では、東軍についた黒田長政の先鋒として勝利に貢献。

戦後、黒田長政筑前国に移封になった際、大隈城主となり1万6千石を拝領。

●2度目の追放
1606年 (47歳)
黒田長政との衝突から出奔。
その際、奉公構(ほうこうかまえ:回状を出されて他家に仕えられなくなる)とされる。

その後、細川忠興福島正則前田利長らから仕官の話が来るが、黒田長政の横槍で実現できず。

●大坂の陣
1614年 (55歳)
大坂冬の陣では大坂城に入城。

大坂方についた浪人たちの中でも最も有力と期待され、真田幸村長宗我部盛親毛利勝永明石全登とともに大坂城五人衆と呼ばれた。

大野治長とともに遊軍として活躍。
今福の戦では木村重成と組み、上杉景勝佐竹義宣、両軍と激戦。

徳川家康から多額の報償による寝返りを誘われるが、これを拒否。

1615年 (56歳)
大坂夏の陣では、河内、道明寺の戦で奥田忠次を討ち取るなど2千800人という寡兵で奮戦するも、伊達政宗軍との乱戦の最中、正宗家臣片倉重長の鉄砲隊に撃たれ歩けなくなり、自害。
死没 1615年6月2日(慶長20年5月6日) (享年56歳)
レクイエム 大坂城入城後に徳川家康から寝返りの誘いを受けた際、秀頼、家康の2大巨頭に頼りにされたことに感じ入り、「秀頼公には討ち死にを持って、家康公には戦初日に討ち死にし手間をかけないことで報いたい」と言ったと伝えられている。

又兵衛の死を知った味方の兵たちは、逃げることなく次々と敵兵に突撃していったと言われ、部下からも深く慕われていたことがわかる。