毛利氏の兵糧攻めで落ちた尼子の名城
月山富田城の戦(第二次)
がっさんとだじょうのたたかい(だいにじ)
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西暦 1564年〜1566年
和暦 永禄7年〜永禄9年
略図
関連する場所  出雲国 月山富田城
GOOGLE MAP 出雲国 洗合城
 出雲国 白鹿城
 出雲国 熊野城
 伯耆国 江美城
 伯耆国 八橋城
概要 ●尼子家と毛利家
石見国の石見銀山の支配権をめぐる毛利家と尼子家の争いは、1562年にほぼ決着し、毛利家が直轄地としていたが、尼子家の勢力は居城である出雲国月山富田城を中心に依然残っていた。

●元就、出雲侵攻
1563年、毛利元就は尼子家を攻めるべく、宍道湖北岸に前年に築いた洗合城に着陣、月山富田城の支城、白鹿城を攻めるが守りが堅く苦戦、銀山の鉱夫を呼び寄せ、白鹿城の下に坑道を掘らせ水の手を切って落城させ、城主、松田誠保を隠岐国へ追った。

毛利元就はすでに宍道湖や中海の制海権を握っており、さらに東方の尼子家の支城、江美城や八橋城を落とし、月山富田城への兵糧ルートを断つことに成功。

●月山富田城への総攻撃
1565年3月、毛利元就月山富田城への総攻撃を開始するが落ちず、城の周囲に付城を築いて長期戦の構えを見せた。
元就は、城内にある兵糧の消費を早めるため、籠城兵が抜け出そうとしても許さず城内に追い返した。

1566年正月、毛利元就は得意の調略を仕掛け、尼子義久にその重臣、宇山久兼を疑わせ殺害させるなど、着々と攻略していった。

●落城
完全に孤立した月山富田城はついに11月に降伏、尼子義久や家臣山中鹿之介は捕らえられた。

毛利元就は、福原貞俊月山富田城の城代にすえた。

毛利元就はこの勝利で、中国10ヶ国を従えることになった。
その他