東国の目付け役を託された勇将
蒲生氏郷がもう うじさと
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誕生 1556年(弘治2年)
生誕地 近江国
蒲生賢秀
後藤但馬守の娘
幼名 鶴千代
忠三郎、蒲生忠三郎賦秀(元服名)
官名 飛騨守、従四位下、侍従、正四位下、左近衛少将、従三位、参議
通称  
近親など 正妻:相応院(織田信長の娘)
子:蒲生秀行など
ゆかりの地  近江国 日野城(中野城)
 美濃国 岐阜城
 伊勢国 松ヶ島城
 伊勢国 松坂城
 陸奥国岩代 会津若松城(鶴ヶ城・旧黒川城)
略歴 1556年 (1歳)
六角承禎の家臣で近江国日野城主、蒲生賢秀の三男(嫡男)として生まれる。

●信長の人質
1568年 (13歳)
六角承禎が、上洛に向かう織田信長に追われた際、父が信長に臣従したことから信長の人質となり、岐阜城で過ごす。

信長に従い、北伊勢攻略戦に初陣し貢献。

1569年 (14歳)
信長の娘、冬姫と結婚。

1570年 (15歳)
姉川の戦に参陣し貢献。

1574年 (19歳)
伊勢長島の一向一揆攻めで貢献。

1575年 (20歳)
長篠の戦で貢献。

1576年 (21歳)
父に替わって日野城主に。

1581年 (26歳)
第一次天正伊賀の乱に従軍。

●信長の死
1582年 (27歳)
本能寺の変織田信長がたおれると、信長の妻子を父、蒲生賢秀とともに保護、居城である近江国日野城に籠って明智光秀に対抗。

1584年 (29歳)
羽柴(豊臣)秀吉に仕え、伊勢国松ヶ島城主となり12万石を拝領。

小牧・長久手の戦に従軍。

1585年 (30歳)
紀伊攻めに従軍。

1587年 (32歳)
九州攻めに従軍。

1588年 (33歳)
松坂城を築城し、居城に。

1590年 (35歳)
小田原城攻めに従軍。

●鶴ヶ城主
奥州仕置を経て陸奥国岩代会津へ転封、黒川城(会津若松城)主に。(約92万石)

城下町を整備し若松と改め、城を改修し鶴ヶ城と改める。

1591年 (36歳)
陸奥国陸前で起こった大崎・葛西一揆を、伊達政宗とともに鎮圧。(ただし一揆は伊達政宗が煽動した疑いあり)

九戸政実の乱を鎮圧。

1592年 (37歳)
文禄の役(朝鮮出兵)には、肥前国名護屋まで出陣。

1595年 (40歳)
名護屋の陣中で病気となり、京都伏見で死没。

辞世は「限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風」
レクイエム 小田原攻めのあとの東国仕置で、秀吉から会津に移されたのは、その武勇と政治手腕を高く評価されており、大大名である伊達政宗徳川家康の監視を託されたためといわれている。

氏郷の死により、替わって東国の目付け役に指名されたのが、義を重んじる大名、上杉景勝であった。

織田信長も娘(二女、冬姫)を嫁がせるなど、早くから氏郷を高く評価していた。

茶人としても高名で、利休七哲のひとり。
死没 1595年3月17日(文禄4年2月7日) (享年40歳)