蒲生家から出奔し石田三成の重臣となった
蒲生郷舎がもう さといえ
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誕生 ????年(弘治2年)
生誕地 尾張国
坂源左衛門(蒲生郷成)
 
幼名 鶴千代
坂源兵衛、横山喜内、蒲生喜内、蒲生郷舎
官名  
通称  
近親など 兄:蒲生郷喜(叔父説あり)
ゆかりの地  陸奥国磐城 白石城
 近江国 佐和山城
 陸奥国磐城 三春城
略歴 ●尾張
????年 (1歳)
柴田勝家の家臣、坂源左衛門の子として生まれる。

その後、横山喜内と名乗る。(時期は推定)

●蒲生氏
1583年 (??歳)
賤ヶ岳の戦柴田勝家が自害。
その後、父とともに蒲生氏郷に仕える。

????年 (??歳)
氏郷より、蒲生姓を与えられ、蒲生郷舎と名乗る。
(父は蒲生郷成と名乗り、兄は蒲生郷喜と名乗る)

●奥州
1590年 (??歳)
小田原城攻め後の奥州仕置を経て、主君蒲生氏郷陸奥国岩代会津(92万石)へ転封となり黒川城(会津若松城)主となると、父とともに陸奥国磐城白石城に入城。(4万石)

1595年 (??歳)
主君蒲生氏郷が名護屋の陣中で死没。

その後、お家騒動が起こり、蒲生家は下野国宇都宮(12万石)に減封の上、移封に。
その際、父と兄は蒲生家にとどまるが、郷舎は出奔し浪人に。
(蒲生騒動)

●三成
その後、豊臣秀吉の側近で近江国佐和山城主、石田三成に仕え1万5千石を拝領。

1600年 (??歳)
関ヶ原の戦では西軍有利とされていたたが、小早川秀秋の裏切りなどで壊滅状態となり大敗。

●帰参
その後、父と兄のいる蒲生家に帰参。

●藤堂氏
その後、蒲生家の重臣、岡重政との対立から、父、兄とともに蒲生家を出奔、藤堂高虎に仕える。

●再帰参
1613年 (??歳)
蒲生家の重臣、岡重政が死没すると、再び蒲生家に帰参。

蒲生家へ向かう途上、父が死没。

陸奥国磐城三春城主に。(1万5千石)

●放逐
1616年 (??歳)
蒲生家の重臣、町野幸和と対立し、兄とともに放逐される。

●再々帰参
1626年 (??歳)
町野幸和が失脚すると、蒲生家に帰参、兄は筆頭家老に。

●再放逐
1630年 (??歳)
重臣の福西吉左衛門、関十兵衛、志賀与左衛門らと対立した結果、主君の蒲生忠知から、兄は蟄居処分に、郷舎は放逐処分に。

その後の消息は不明。
レクイエム 関ヶ原の戦織田有楽斎に討ち取られたという説があるが、それは蒲生瀬郷のことである。
死没 ????年??月??日(????年??月??日) (享年??歳)