本能寺の変の際の安土の留守居
蒲生賢秀がもう かたひで
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誕生 1534年(天文3年)
生誕地 近江国
蒲生定秀
馬淵氏
幼名  
 
官名 左兵衛大夫
通称  
近親など 子:蒲生氏信、蒲生氏春、蒲生氏郷など
ゆかりの地  近江国 日野城
 近江国 安土城
略歴 ●日野
1534年 (1歳)
近江の守護六角定頼の家臣で近江国日野城主、蒲生定秀の嫡男として生まれる。

1560年 (27歳)
野良田の戦では先陣を務める。

1563年 (30歳)
観音寺騒動(主家、六角家のお家騒動)の際は、父、蒲生定秀とともに六角定頼六角承禎父子を日野城に匿い、調停役として活躍。

●信長
1568年 (35歳)
織田信長の上洛の際、 主君の六角承禎は逃亡したが、日野城にて抵抗。
妹婿の神戸具盛や関盛信の説得を受け開城、降伏。 (信長の上洛戦

その後、嫡男の蒲生氏郷を人質に出し織田信長に従う。

1569年 (36歳)
大河内城の戦に従軍。

1576年 (43歳)
信長の命により、安土城の留守居となり、子の蒲生氏郷が日野城主に。

●信長の死
1582年 (49歳)
本能寺の変が起こると安土城にいた信長の妻子を保護し、日野城に籠って明智光秀に対抗。

1584年 (51歳)
死没。
レクイエム 信長が四面楚歌に陥ったときに、旧主の六角承禎から誘降するよう口説かれたが、恩のある信長を裏切らなかったように、「頑なな律義者」という評価と、戦と聞けばすぐに逃げ出すような「臆病者」という評価がある。
死没 1584年5月26日(天正12年4月17日) (享年51歳)