関ヶ原では家康の先鋒もつとめた、賤ヶ岳七本槍の筆頭
福島正則ふくしま まさのり
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誕生 1561年(永禄4年)
生誕地 尾張国 二寺
福島正信
日秀(秀吉の母)の妹
幼名 市松
 
官名 左衛門大夫、侍従、左近衛権少将、参議
近親など  
ゆかりの地  尾張国 清洲城
GOOGLE MAP 伊予国 湯築城
GOOGLE MAP 伊予国 国分山城
 安芸国 広島城
略歴 ●秀吉の小姓
1561年 (1歳)
尾張国二寺の桶屋、福島正信の子として生まれる。

その後、姻戚関係にあった羽柴(豊臣)秀吉の小姓として仕える。

1579年 (19歳)
三木城兵糧攻めで初陣。

●賤ヶ岳七本槍筆頭
1583年 (23歳)
賤ヶ岳の戦で、敵将を討つなど貢献し、賤ヶ岳七本槍の筆頭として名を上げ、近江国河内国に5千石の恩賞を受ける。

1587年 (27歳)
伊予国今治11万千石を拝領。湯築城主に。

国分山城に居城を移す。

●三成との対立
1592年 (32歳)〜
文禄の役で朝鮮へ渡海。しかし加藤清正と同様、朝鮮との和睦方法について意見が合わない石田三成と対立するように。

1594年 (34歳)
帰国し、秀吉の伏見城普請を担当。

●清洲城主
1595年 (35歳)
尾張国清洲24万石を与えられ、清洲城を居城に。

元関白豊臣秀次の検死役をつとめる。(秀次事件

●家康との婚姻
1598年 (38歳)
秀吉が死ぬと、徳川家康に接近、掟を破って届け出をせず家康と婚姻関係を結んだことを、三成に糾弾される。

1599年 (39歳)
前田利家死後、加藤清正らと石田三成暗殺を計画するが、家康に一喝され断念。

●関ヶ原
1600年 (40歳)
家康の会津上杉景勝征伐に参陣。

途上小山会議で、三成挙兵の報に対して、豊家(豊臣家)の名を借りた三成の私戦であるとして家康につくことを宣言。これによりほとんどの大名が東軍につくことに。

西上軍の先鋒として岐阜城などを攻略。

関ヶ原の戦でも猛将振りを発揮。

●広島城主
戦後は、安芸国備後国、49万石の太守となり、広島城を居城に。

1614年 (54歳)〜
2度の大坂の陣(大坂冬の陣大坂夏の陣)では、豊臣恩顧の大名として危険視されたため江戸城留守居役として参陣せず。

●転落
1619年 (59歳)
広島城の無断修築の咎により、信濃国川中島4万5千石に転封、蟄居。

1624年 (64歳)
病没。
幕府の検視を待たず火葬したことから、福島家は改易処分に。
レクイエム 猛将であったが、人情に厚い武将でもあった。

江戸開幕後の徳川家康の豊家への対応には、関ヶ原で東軍についたことを悔やんだに違いない。

酒による失敗談が多く残っている。
死没 1624年(寛永元年)8月 (享年64歳)